キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

土6の娘たち

ちょっと、この前の続きを書こうとして、コードギアスやseed系の名言まとめのぞいてみたんですが、なかなかseed系ってしんどいですねえ。ついていけないとおもうんですが、よくこんな題材(積極的優生とか)にふみこんだなって蛮勇は評価せざるを得ないところがある。この前は、難民をしようのコピーのネタっぽさとガンダム00の台詞のネタっぽさが実は似てるんじゃないかというところまででしたけど、それは何かというならば、煽る力、釣る力なんじゃないかと考えるわけです。でガンダム00が属する一連の毎日放送(放送時刻から土6とか日5とか呼ばれる)が制作してたアニメシリーズの魅力というか話法のスキルにある煽動性が難民をしようというコピーと同質のものなんじゃないかと考えて、ちょっと名言をのぞいてたんですよ。

seed系ってのは全編煽りというか釣りというか、現実社会なら炎上するような混同や無視を行使して作っているので、迷(名)ゼリフ満載で逆に作品全体をドライブさせていくようなコピーは曖昧なんですけど、たとえば「鋼の練金術師」(水島版)では、「奪われたものはとりかえす」って台詞がどんな物語かの惹句になってた、「コードギアス」なら「撃っていいのは撃たれる覚悟のある者だけだ!」とか「間違っているのは俺じゃない、世界の方だ!」だとか、この台詞をみれば物語がどんなドライブで駆られているのかわかる台詞がある。seed系だって守るために力が欲しいとかいう初めのドライブがあるわけです。

でこの種のドライブってのはできるだけストレートにしてあるんです。欲求が明確でその主体も(主人公)はっきりしてる。逆にいえば、プリミティブなものであるんだけどそれは幼いということでもあるんです。これが煽りたりうるのはまさにその点で、惹句の水準では黒か白か、通るか、通らないか、が最大の問題になってしまうことになるんです。問題を単純にしてしまう力を発揮するんですね。

シリア難民風刺画にしても、偽装難民もいるということを、不法移民を受け入れてはならないというふうに単純化、入れ替えてしまえる力を持っているわけで、前回はその読解に固定するのはよしたいと言ったのですが、それを煽りなり釣りなりと言ってきたわけですが、同様のレトリックをガンダムseedなりコードギアスの作品が駆使してるんじゃないかと思うわけです。

これは難しい国際社会の問題を専門家の壁の中から解放しよう、とりわけ稚い人にも世界の問題を考えてもらおうみたいな局Pの意欲だったんでしょうけど、同時に期せずして世界では難しい中東の問題が、アメリカのキリスト教保守も含めた市民に解放されて国際秩序が崩壊してしまう出来事さえも起こって、 ある意味世界史的なんだけど、感動的なのは「destiniy」で作品外の世界の崩壊と作品の破綻が同期してしまい、並のドキュメンタリーに劣らないライブ感が発生してしまったことです。まあ中東がうまくいかなかったように、現実は黒か白かで裁断できないわけです。難民の全てが偽装難民じゃないわけですし。

だから逆に物語はそのドライブが裏切られるように展開するわけで、それに翻弄されてちゃぶ台返しを繰り返すのがseed系、その翻弄をうまくとりこんでドライブの緊張の維持に仕えさせていたのがコードギアス、自然に現実を受け入れる風のビルディングスロマン型が錬金術師といったところでしょうか、といっても時間軸順に練金術の修行時代を先に描けば、母の死を受け入れないといった動機が成立しなくなって、作品が崩壊してしまうわけで、煽りを成立させるために何らかのトリックは使っているんです。

先に専門家から問題を解放させたかったのではと邪推しましたが、ある意味問題は逆にこんなレトリックで誰でも問題を単純化して煽ってみせる手段を啓蒙したことになったのではないのかということです。いわば社会問題化の民主化に貢献したのではないかということです。で結果はというと幅広い層のウヨ化でしょう。

私には慰安婦の捏造と戦っている人たちが「オーブぶっ潰す」とか叫んでるシンとか「世界は間違っている」と叫ぶルルーシュみたいに、あるいは安保法案に反対する人たちが「オーブ!戦うなあっ!」と泣き叫ぶカガリとか、「守りたいものがあるんだ(キリッ)」とかうそぶくキラみたいに見えます。私だけですが。ここで書いてきたものをふまえてみればみんな土6の見過ぎです。

さて私もアニメの見過ぎの奴でしたので、あの風刺画の少女を見て幻視したものを最後に置きます。前回、あのイメージの持つ喚起力、キャラクター化して得られた何か言いたげさについて擁護したいと思ったわけですが、私たちはそっくりそのままでないかもしれませんが、いずれあの少女に再会することになると思います、アニメの中で。必ずしも首肯できるわけではないが、十分な言い分を持ち物語で悪役として登場した魅力的な女性のキャラクターを私たちは知っているわけです。その新しい顔ぶれの一人として彼女に似た女性を見つけることになるのではないでしょうか。いやむしろ「プラネテス」のクレア(cv渡辺久美子)みたいな人がいたのをみれば、将来にありえる一つの未来の彼女にもう出会っているのかもしれません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。