キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

山口真帆騒動一件【初めに、あるいは奥羽越列藩同盟の瓦解から2018年の毛皮のマリーをリライトするために】

色々エクスキューズ掲げてから書こうと思ってたけどめんどくさくなった。後で書く。ジャスティスあるいは支援者鬱陶しい、それに尽きる。いくら地下で懐疑派に突っかかって回ったって狂言を疑える余地は事件から消えないじゃん、何考えてんだろ。これは引っくり返しても成り立つ話で、いくら整合性のある狂言説唱えたって運営と犯人和解したしその内容からは狂言まで受容した話じゃないやん、平然と構えてたらいいし、和解の内容に文句有っても、それは狂言説唱えるこちらだって我慢する筋合いのもんだし、そっちの和解への文句なんかこっちも忍耐してるんだから聞く筋合いあるかという気になる。とっとと終わらせたい。

終わらせたいと言ってもこちらが荷物下ろすだけの話で、ジャスの馬鹿騒ぎ読んでてもその分気が楽だということにすぎないし、誰でも思いつく権利のある「ぼくの考えた真相」をフルセット書いた所でジャスの東奔西走は終わらない。もっともまっほの現状をみるともう終わった後なのかもしれない。なぜもう支援者やファンくらいしか話題にしないのだろう。

だからフルセットを書くのだ。まずは私が荷物を下ろしたいから。そしてそれはこの終わりの後あるいは最終局面で、ささやかでも書き手なりに石を投げたいから。何も変化なくても構うまい。終わりということで変化があるとしたら書く側の気持ちの話なのである。

さて何度か書きましたが、トピックごとに分けます。事件本体の仮説はもう書きましたが、どういう前段でこんなことが起こったか、後段でどうしてこういう後始末になったか?あるいは始末し損ねたか?この説明に仮説を与えていくと憶測と陰謀論めいたブロックが増えてきます。そこは節毎に読み手には構えていただきたい。そういうところです。そんな訳でこれは筑波の先生みたいな論説というよりは小説です。

さて哀しいまっほの物語を始めましょう。嘘つきまっほの哀れ非道な物語、そしてこんなまっほを大好きだった親友の哀しい無惨な物語、その大好きだった気持ちに殉じた哀れな娘の物語、それを友情とは言いますまい、そこには義はない、義抜きの仁義、義抜きの忠義みたいなもんで似た思いを探すとするなら子が親を慕う気持ちくらいにしか擬えるもののない、それはホモソーシャルなものであって腐して見るなら百合の類でありましょうが、愛には違いない、愛に殉じた哀しい娘の物語。

さて、はっじまるよ〜。

 

次回 ①「不誠実な尋問者」