キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

Mステとオタク文化

最近、ミュージックステーション初音ミクが紹介されることがあった。また、水樹奈々も出演したことがあって時代も変わったのだなあと思った。「けいおん!」の昔から、アニメソングや声優が歌う曲が上位にチャートインしたとき、オタクというかアニメファンは歓喜したものだが、そこでミュージックステーション(以下Mステ)でアニメのワンシーンや声優のPVが一瞬流れたときのスタジオの反応はよく話題になったものだった。その曲への関心のありようがオタク系の表現がどれくらい世に受け入れられているかをはかるモノサシの一つとあえて仮構して、つまりネタにして遊んでいたんだと思う。

ここから書くのはとくに対象に確認をとったわけではなく、仮説というか妄想なのだが、なぜ水樹奈々なりオタク系の曲がMステで敬遠されていたのか、思うところがあったので、書いてみたい。

わりあいMステっていうのは後発の歌番組で、それ以前にベストテンやらヒットスタジオというものもあった。あえてMステ以降以後を無理矢理定義してみると、以前の歌番組というのは、ヒット曲全般を全年齢に対して紹介するものだったが、いまでもそのタテマエでやってるのが紅白、Mステ以降、というよりもうメジャーなのはMステしか残ってないが、ジャンルなり聞き手の対象年齢・集団をある程度特化するようになったのではないかと思う。ある意味歌番組は「演歌の花道」化しないとやっていけなくなったのだと考える。Mステはたとえば「ボクらの赤絨毯」とかいうところだろうか。Mステはアイドルも含めたいわゆるJポップの勃興みたいなものをうまいことすくいあげたのだと思う。

で問題となるのは、アニソンってのはタコツボ化した歌番組の中でMステが取り上げる題材かねっていった時に、そうじゃないだろう、って局が最近まで考えていたんじゃないかって思ってる。で冒頭の変化は何で起こったのかというと、端的には水樹奈々の浸透とか(どうも紅白にアニメ枠みたいなのができて、彼女が連続出場)、ボーカロイドが受け入れられたり(千本桜とか)、といったところなのだろうが、ボーカロイドの件も含めて、ラブライブ現象とか意外とマスにアニメ文化、オタク系の文化が浸透してきて無視できないという認識の変化があったのではないか。まあ、私自身はあまりこの認識を信じきれてないが。ちなみにそんなわけでラブライブは過小評価すべきでないと思っている。意外と大きい影響があって、揶揄はされてもそれはなかなか言語化されてないのでは、とアタリをつけているんだが、どうだろう。

あと次はホントに妄想なのだが、テレビ朝日のMステとしては、社会現象としての深夜アニメをできたらスルーしたかったのかもしれないと思う。テレ朝ってのは子供向けのコンテンツってのは、ニチ朝を見ればわかるように、厳格な見識を持っていて、コンテンツが誰向けで、何を見せたいかってのがはっきりしている。バラエティのアニメ名場面集みたいなもの見てても、局のアニメ事業の視野の延長で企画してるような気がする。基本アニメはある程度の逸脱はあるにしても(子供にふさわしいものならむしろ歓迎されたりする)子供に見せて恥ずかしくないものなのである。しかしそのガイドラインから扱いかねる作品だと、たとえばガンダムなんかメーテレから取り上げたのにMBS仮面ライダーと交換してしまうのである(まあある意味この両局は腸捻転の因縁があるのだが、腸捻転以前だとTBSではなくテレ朝で仮面ライダーを放送していたのかな)。ある意味子供向けのルールを逸脱した深夜アニメを紹介できる言葉を持っていなかったと思うのだ。

また深夜アニメという市場があるときに局として日中のアニメなりのガイドラインを持っていなかった、結果乗り遅れた、ということもそれに棹さす形になったのではと考える。TBSはUHF局と組んで深夜で放送する作品のジャンル(結局萌えに帰着する)を開拓していった、あるいはフジはノイタミナ枠で深夜ならではの自由さを持つ作品を掘り下げていったが、ああ、日テレも青年誌の原作を中心としたアニメ化みたいな特色もあるのか、とくにテレ朝は深夜に方針といえるほどの作品の量を投下していなかったと思う。今では、明らかに局がかんだ「新世界より」みたいな例もできたが、局なりの色合いというのは、見えない。まあもっとも局なりの色合いっていう境目が曖昧になりつつあるという気もするのだが。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。