キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

「うたわれるもの2」について少しだけ、

予定していた題材が、些か私事で心配事が起こって、題材もセンシティブな素材だったので、やはり必要以上に不穏当さを醸し出したくはないのから気はそれなりに割きたいので、今書き上げることができなくなってしまった。

で何を書けばというところなのだが、ふと一つ備忘録的な意味で触れておかなければと思っていたことを思い出した。

最近アニメを改めて観ようと思い始めていることはすでに書いたのだが、そんなわけでレコーダーのハードディスクをポチポチのぞき始めたのだが、「うたわれるもの2」を少し再生してみたのだ。びっくりした。ヒロインの声がまるで川澄綾子さんだったからだ。いや、待てよ、こんな話題作に仕事の少なくなったベテラン駆り出すことはないぞ、艦これに出てたのだってびっくりしたのにと思って、キャストを見ると種田梨紗さんだった。たしか同じ事務所(大沢事務所)なのだが、こんなことあるのかいと驚嘆したのだった。

たしか大沢事務所では、川澄さん、能登麻美子さんの世代のあと、次世代でアニメの声優を仕事のメインにしているのは花澤香菜さんと井口裕香さんのみという時期が長かったのだが(中尾依里さんはとりあえず話からはずす)、種田梨紗さんの所属以降、日高里菜さんとか久野美咲さんとか一気に若手が増えた。割合、採用傾向としてウィスパー系というか、ブレスノイズ系という気がするのだが、たとえば「いぬぼく」での日高さんの演技はブレスの残りやりすぎだろうと思うくらいだったわけで、とはいえ2000年代前半くらいの川澄さんみたいな空気感を耳にするとはおもわなかった。

発声するときの喉が詰まった感じとか、発声を閉じたときに残るブレスに乗る喉の鳴りとか、語りおろすときの抑揚のなさの性急な調子な挙動とか(ようするにある種の棒感)、「藍より青し」とか「頭文字D」の頃の川澄さんみたいな感じを想起するのだ。

よく聴けば、ベースの声質は少し違うので、キャラクターを作っていったときに生じた偶然だと思われるのだが、ちょっと過去の出演作をチェックしてみたくなった。「新世界より」、少しは観たのだが、そんな気配は感じなかったのにな。

とはいえ、川澄さんの歌は真似できる人はまずいないと思う。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Mステとオタク文化

最近、ミュージックステーション初音ミクが紹介されることがあった。また、水樹奈々も出演したことがあって時代も変わったのだなあと思った。「けいおん!」の昔から、アニメソングや声優が歌う曲が上位にチャートインしたとき、オタクというかアニメファンは歓喜したものだが、そこでミュージックステーション(以下Mステ)でアニメのワンシーンや声優のPVが一瞬流れたときのスタジオの反応はよく話題になったものだった。その曲への関心のありようがオタク系の表現がどれくらい世に受け入れられているかをはかるモノサシの一つとあえて仮構して、つまりネタにして遊んでいたんだと思う。

ここから書くのはとくに対象に確認をとったわけではなく、仮説というか妄想なのだが、なぜ水樹奈々なりオタク系の曲がMステで敬遠されていたのか、思うところがあったので、書いてみたい。

わりあいMステっていうのは後発の歌番組で、それ以前にベストテンやらヒットスタジオというものもあった。あえてMステ以降以後を無理矢理定義してみると、以前の歌番組というのは、ヒット曲全般を全年齢に対して紹介するものだったが、いまでもそのタテマエでやってるのが紅白、Mステ以降、というよりもうメジャーなのはMステしか残ってないが、ジャンルなり聞き手の対象年齢・集団をある程度特化するようになったのではないかと思う。ある意味歌番組は「演歌の花道」化しないとやっていけなくなったのだと考える。Mステはたとえば「ボクらの赤絨毯」とかいうところだろうか。Mステはアイドルも含めたいわゆるJポップの勃興みたいなものをうまいことすくいあげたのだと思う。

で問題となるのは、アニソンってのはタコツボ化した歌番組の中でMステが取り上げる題材かねっていった時に、そうじゃないだろう、って局が最近まで考えていたんじゃないかって思ってる。で冒頭の変化は何で起こったのかというと、端的には水樹奈々の浸透とか(どうも紅白にアニメ枠みたいなのができて、彼女が連続出場)、ボーカロイドが受け入れられたり(千本桜とか)、といったところなのだろうが、ボーカロイドの件も含めて、ラブライブ現象とか意外とマスにアニメ文化、オタク系の文化が浸透してきて無視できないという認識の変化があったのではないか。まあ、私自身はあまりこの認識を信じきれてないが。ちなみにそんなわけでラブライブは過小評価すべきでないと思っている。意外と大きい影響があって、揶揄はされてもそれはなかなか言語化されてないのでは、とアタリをつけているんだが、どうだろう。

あと次はホントに妄想なのだが、テレビ朝日のMステとしては、社会現象としての深夜アニメをできたらスルーしたかったのかもしれないと思う。テレ朝ってのは子供向けのコンテンツってのは、ニチ朝を見ればわかるように、厳格な見識を持っていて、コンテンツが誰向けで、何を見せたいかってのがはっきりしている。バラエティのアニメ名場面集みたいなもの見てても、局のアニメ事業の視野の延長で企画してるような気がする。基本アニメはある程度の逸脱はあるにしても(子供にふさわしいものならむしろ歓迎されたりする)子供に見せて恥ずかしくないものなのである。しかしそのガイドラインから扱いかねる作品だと、たとえばガンダムなんかメーテレから取り上げたのにMBS仮面ライダーと交換してしまうのである(まあある意味この両局は腸捻転の因縁があるのだが、腸捻転以前だとTBSではなくテレ朝で仮面ライダーを放送していたのかな)。ある意味子供向けのルールを逸脱した深夜アニメを紹介できる言葉を持っていなかったと思うのだ。

また深夜アニメという市場があるときに局として日中のアニメなりのガイドラインを持っていなかった、結果乗り遅れた、ということもそれに棹さす形になったのではと考える。TBSはUHF局と組んで深夜で放送する作品のジャンル(結局萌えに帰着する)を開拓していった、あるいはフジはノイタミナ枠で深夜ならではの自由さを持つ作品を掘り下げていったが、ああ、日テレも青年誌の原作を中心としたアニメ化みたいな特色もあるのか、とくにテレ朝は深夜に方針といえるほどの作品の量を投下していなかったと思う。今では、明らかに局がかんだ「新世界より」みたいな例もできたが、局なりの色合いというのは、見えない。まあもっとも局なりの色合いっていう境目が曖昧になりつつあるという気もするのだが。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

書き始めて(まめに)、1ケ月。

1ケ月くらいなんとか続けてきたので、自分がどういうことを書いていきたのか、どんな書き手なのか、考えてみようと思ったのだが、なんとなしにネタが見つかったので、他のことを書いてしまい、忘れていた。この前の記事でこれを少し書き始めて、時事については折にふれ書きたいなあ、という趣旨のことを書いた。少なくともライフハックとか恋愛あるあるの書き手ではないのだと、わかる。ちなみに日常あるある、どう思う系の記事は、自分鑑みの用でよくみるのだが、ああいう共感への喚起する力で読者を集めているような人はやはりすごいなあと思う。マネできないし、その引き出しの多さは羨ましい。

しかし取材の力も資も今のところはないし、今は我慢である。あきらめると言わないのは人生の楽しみがそこにある分野の一つに目をつぶるのに平気だと言ってるようなものなので、倫理的ではないと考えるからである。とはいえ、男女のことなんて、よっぽどのことがないと書かないと思うが。
でどんな書き手、あるいはどんなブログかといえば、世の中のことを考えてみましょうよ、でもみんなと同じこと考えなくてもいいよ、たとえばこんなのどう、と提案するブログなのかなあと思う。あるいは世の中について考えるって一つのホビーでしょ、じゃあこんな切り口どう、とか。
誤解してもらいたくないのが、いや、してもいいか、遊びましょうということではなく、頑なな姿勢というのは問題の解決に必ずしもつながらなくて、むしろこれくらいの方が問題の記述を的確にできて、有効な解決策を提案できることもあるのでは、みたいな考えという点でしょうか。できるかどうかではなく、こういう欲望で書いていきたいといったところなのですが。
まあ、世の中のことについてだけ書きたいというだけではないのです。いくらか書きましたが作品なり、文化の批評への欲望もあるわけです。このあたりはてなの多くのサヨクさんと同質なんですが、そういう点で現在放送中のアニメについてリアルタイムでレビューしたいなあといった企みもあるわけですが、できるかなあというところです。シャフトの新房作品については色々言いたくなったこともあったし。
これからも興味を持っていただければさいわいです。
 
最後まで読んでいただきありがとうございた。
 
 
 
 
 
 
 
 

稲刈りの終わり

やっとこさ、稲刈りが完了した。区画Bに残っていたハダに干していたもち米を父と二人でハーベスタで扱いて圃場での植物相手にやる作業は完了した。

しかし期間を空けて、重機をさわる作業は怖い。エンジンはかかるか、安定して動くか、は未知数だし、気を付けているつもりでも、危険への皮膚感覚は少し鈍っているし、はっきりとでなくても、気持ちヒヤッとする場面も多い。

軽トラで運んできて、道路におろし、またそこから圃場におろし、嵌まるところを時にベニヤ板を敷きキャタピラを乗せ動かしてハダに寄せ、機械が安定して扱き始めるまで、安心する気になれない。ベルトコンベアーみたいな流れ作業になるまで、色々クリアする段取りが控えていて、いつまでたってもそれはプレッシャーである。が、舐めていると怪我をするのだ。

そんなわけで、機械には気をすり減らすので、期間がoffになった時に面倒を見ているのは、父と業者である。父も高齢なので、もう自分に仕込まないといけないのだが、なかなかそこまで気と身は回らない。

今日の相棒は物心ついた時からすでに稼働しているハーベスタで、エンジンの音を聞くともう寿命に近い気もするのだがなんとか働いてもらっている。なんとか安定して動いているようだ。

晴れが続いたせいか今日は地面の調子も比較的安定し、作業も安定して進んだ。今日は乾燥しているのか、子供の便のような香りはしないが、砂と枯れ草の砕けたような粒子がまとわりつくのは相変わらずで肌痒い。しかし足首まで沈むような場所、湿気の引かない場所もまだある。

出来はとくに病気ももらわず早稲で生育期が高温時に間に合ったおかげか平年並みというところだろう。これは今日だけではなく全体の印象でもある。とはいえ、自家消費やお付き合い中心なので、実際のところは痛し痒しといったところではある。

さて今年の経験から対応しなければいけないことは、夏の大雨だろうか。たまの大雨で池みたいになると、快晴が続いてもなかなか乾かない。大雨になっても池にならないような策を捻り出したいものだが。天候不順や荒天の大型化が進んでるようだから、滅多にないと目をつぶるわけにもいかないだろうし。