キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

あんた、このアイドルをどう思う?ー山口真帆暴行事件の実相私論ー(前編) 【この空は何処から青くなるのか?】

 NGTの件、現支配人がtweetを始めて、太野の部屋の件、カニの関与のないことを説明しているのだが、ネチズンは皆どうも記憶力が欠けているので、新潮の書き起こしも絡んで、第三者委員会の報告書以前の頃のようないつか通った議論を溝の壊れたレコードのように繰り返しているかのようである。それはネチズンだけが悪いだけではなくて、なぜあの部屋から被疑者たちが出てきたのかが謎の要なのに、メンバーの関与のなさを説明したところで、当の謎の納得には全く役に立たないというフラストレーションのせいだろう。もっとも運営の与える答えとしてはメンバーの潔白なことで足りるのだが、観衆は謎の答えを求めてるのだから、噛み合ってはいないのだ。

 おそらくその齟齬の一つはこの事件は、襲撃にかかる成り行きを列挙するところで、それが事件の全容を描くことにはならないからだろう。おそらく、それは半分くらいなのである。「ほんとのこといいます」や報告書、随時上がる週刊誌の記事等を、眺めていくと、この事件がこんな形で実現したのは、太野の引っ越しからこの事件が始まっていたのだろう。加えて、山口の内面の問題を考えると遠因として総選挙の件は大きいと考えたい。

 とはいえ、何か知っているわけではない、例によって憶測である。まあ小説である。また新しい記事が出たら、大筋は変わらなくても、情動の動線くらいは変わる類のものだ。

 長いのを読むの大変だろうから、結論の一つを先に書く。まず山口は事件を起こしたファンとつながっていたと見るのが自然だと思う。そして山口や太野の住んでいたマンションでこのファンに起因して、メンバーの安全に関わる事件としてまず起こったのは、山口の痴話喧嘩を自演スケールアップさせた例の自称襲撃事件ではなく、太野のストーカー被害事件がそういう対処案件だった。山口と繋がったファン、まあ以下笠井、が同じマンションの一室を賃貸した結果、山口の住所から笠井の知り合いに太野の住所が漏洩してしまった。山口の事件が起こったときに、向かいのメンバーの「住んでいた」部屋を太野の部屋(だった)と皆同定するのが容易だったのはご存知のとおり。そして山口と笠井たちで公衆の空間で揉めごととなったとき繋がりの露見を恐れた山口はそれをファンの襲撃と言い繕うこととなったのだが、自分の事情を隠蔽するために、太野のストーカー事件の構図をいただいて事件を作ってしまった、それで太野のストーカー被害を自分の被害で上書きした、しかも個人情報の流出の被害者だった人物をその加害者という形で。同時に笠井をめぐってライバル関係にあると思い込んだ西潟に教唆の罪をかぶせた。そしてこの隠蔽のための事件の存在を言い募るうちに、帰責を転嫁するその対象は自分の個別の事情にとどまらず、三周年を迎えて本業の成果等で追い詰められていたNGTでの自分の状況全てに拡大した。そうして彼女はメンバーと運営を激しく攻撃せざるを得なくなった。

 なぜ、こう考えざるをえないかというと、襲撃事件が山口を客体として起こったからといって、その事件の伏線•環境を主体が整えるまでの1年半、客体側の山口、その関係者がそれに気付かないまま進行できるはずがないからだ。その情報、犯人どこから得たんだという点が色々あり、結果運営と厄介の共謀という陰謀論めいたものが提起されるのだが、客体ながら山口が中心につねにいる以上、ある時点まで山口が事件の環境をととのえた主体だと考えた方がシンプルなのだ。

 この見通しが妥当で先の結論が当たっていたら、山口の気持ちを考えるとかなり辛い。総選挙の結果なり、これからの三周年を迎えての自分の状況にそこまで苛立ちを感じてたのかと思うと、見るに耐えないというような気持ちになる。このあたりは新潮の書き起こしの被疑者を問い詰めても、自分の望む答えがでてこないのに、自分の結論に固執する姿勢を見れば察しがつく。さぞ告発してるように見えるが、彼女は自分の見当にしがみ付いてるにすぎないのだ。この執念はNGTを活動停止に追い込んだが、いずれ彼女を食い尽くしてしまうかもしれない。まあ、それも仕方ないのだろう。

 これらの「私の考えた真相」はあまり同じこと考えてくれる人はいないのだが、最低限のこう考える合理性をここで満たしたいと思う。

①山口は繋がっていたのか?

②太野のストーカー被害はあったのか?

③太野のストーカーは山口と繋がってた(または世間では襲った)厄介と仲間だったのか?

 ①に関していえば山口が(あるいは運営が)引っ越さなかった(させられなかった)がその傍証に当たる。報告書にあるように被疑者の甲はマンション内でメンバーと出くわすこともあった。運営がマンション内に厄介が居住している可能性は把握してたはずだ。そして彼は山口の太客である。付きまといなどの被害を受ける可能性があるのはまず山口である。その山口が居住し続けるからには、彼女は自分の安全を疑ってなかったのだろう。だからその時点でその厄介は不特定多数のファンの一人ではなかったはずだ。運営としても1フロア借り上げではなかったのだから、厄介とて居住の自由はあるし、山口が引っ越さないと言ったら、転居もできない。黙認せざるをえない。そもそも居住先のリーク元が山口自身である可能性すらあるのだが、そんなこと自白するはずもなし、なら処分だってできない。

 ②は4月になって文春から出てきた話で、ろくに誰も気に留めないが重要なパーツだと思っていて、あったかどうかを言えば、あったと考えている。人望スレでも指摘があったが引っ越しの頃合いにSRで「身辺を探るファンはいや」等言っていたこと、インスタでの「自炊は終わり」と一人暮らしの終了を示唆していること。現に引っ越していたこと、これらの発信を勘案するに一人暮らしを含めて生活の形態を変えざるをえないことが起こった可能性がある。ストーカーや付きまといのような事案が太野に起こった可能性は高い。

 ついでにいうと太野が付きまといやストーカーに強い忌避感を持っていることは、調べると割と有名なはずなのだが(参考2017年2月18日)、事件からの新規の層は興味がないらしい。それは プラベをSNSで発信する際に写真で現在地の情報を避けるためライブ発信はしないとか、ライブのSRでも照明を落とすとか部屋の情報を与えない努力をする徹底ぶりなのだが、この側面と、「厄介と通じて人気を得た」とされる太野の世評に非整合を感じる人はあまりいない。

 ③太野のストーカーが犯行グループの一員だったり、その知り合いだった可能性はどれくらいあるか、ということ。これは情報が少なすぎて雲をつかむような話なのだが、やはりこれも①の山口が居住し続けていたことを参照することになる。つまり彼女は自分が安全だと思っていた。とりあえず自分の太客であるファンに寄生しているオタしかこのマンションに現れていなくて、その寄生先の太客の推しである自分に危険はないと思っていた、とここでは一旦は仮定しておくことにする。これは登場人物増えなくて(未知の厄介登場の可能性)楽なのだが、登場人物を限定していい合理性については煩雑なので省く。

 とりあえず駆け足なのだが、山口の繋がりはほんとに状況証拠からの判断である。ほんとこさんや週刊誌の山口の部屋の指紋未採取説はあって、状況証拠の示唆はある。新潮の書き起こしは二人はその会話(「甲から聞いた」)から、深い知り合いであることも示唆される(握手会程度の接触ならあんなこと聞かされて信じるはずがない)。山口が嘘をついた可能性もあるが、自分もはめていることになるので内容はともかく二人の関係性は信じていいと思う。しかし、繋がりもオタ奴隷から恋愛まで幅があるようだし、どれほどの関係だったかは本人しかわからない。

 太野の引越しについてはあと一つ想定したいのが、これは運営が絡んでいるはずだということである。転居先を知っていなければならないのはもちろん、転居理由もいい加減で送迎もあるのに私人の裁量で思いつきで簡単に引越しができるはずがない。また引越しを公約にした山口に比べて太野にそれほどの余裕があったとも思えない。AKSはともかく新潟の運営がサポートしてるはずだ。ただこの転居案件の事由の事件性まで含めてAKSが新潟の運営の動き全体を把握していたかはどうだろう、疑わしい。 

 ストーカー被害については情報が少なすぎる。とりあえず上の理由から被疑者グループ、もしくはその知己からストーカー加害者を仮定し、山口の部屋の所在から太野の住所が類推できたと推定する、あとで説明するがだからこそ転嫁に山口はその同類の瑕疵を太野に着せるのだが、初めはこれはそれで太客と大っぴらに会えない等の不服が確執の原因かと考えたが、同時期の山口の引越しの公約や19年1月の太野のフォトログの煽りも勘案すると、もっと根の深い対立があったのかもしれないと、新潮の書き起こしをみて迷ったあと、考え始めた。その場合、他の事実の発掘などがあれば、ストーカー加害者が誰でもいい、特定されたことはないといったこともありうる。

 で、このストーカーと引越しの件がどう事件に絡むのか、ということなのだが、とりあえず事件とそれ以後の騒動を構成する要素をいささか整理して話を考える。

 まず

①被疑者たちが行動するのに準備された環境(ようするに繋がりの話)

②事件当日までの山口の状況(よって被疑者たちの試みが破綻するに至る)

③事件後の山口の行動

となる、③はまた分節する話だが。

①の繋がりの話だが、教唆や部屋の話とは別に、新潮の書き起こしまで出てきて、メンバーの関与が全くありえない、という話ではなくなってきた。送迎中に声をかけられたメンバー以外の関与は山口の思い込みかもというつもりだったが、山口に会いに行こうという相談を受けたメンバーの存在はどうも否定できない。マンションの内で声をかければという提案をしたメンバーもいるらしい。この件はずいぶんと考えたけど、この話を事件後の一期生たちの抗争の文脈で捉えようとするから(まあそう仕向けられたんだが)事件後の登場人物を代入したくなる。逆に言えば事件後の登場人物がそこにいるはずという状況証拠くらいはあるのか、という話なのだ。そしてそれらしいものはない。

 私は被疑者の丙、かいせーとかいうらしいが、が西潟オタにも関わらず、帰宅情報役の大塚(報告書のA)と気軽に話せる親密さとか報告書で「複数回個別に会ったことがある」メンバーが複数いるとかの推すことと私的交流の重なりのズレが要領を得ないというか、気になっていたのだが、こういうことかと思い至るのが、推しと私的交流はまた別の話かということなのだ。だからある推しのオタに私的交流があるからといってその交流にその推しが登場するとは限らないのだ。報告書やリーク、報道から私的交流関与として現れるのは、大塚(二期生)、繋がりではなくバイトで首になった説もあるが羽切(二期生)、しかも丙の交流としてだけ現れる。だからここから見て取れるのは事件に役割を果たした、山口に会いに行くという事件の最低限の外形(部屋の話は別だ)に役割を果たしている繋がりは丙の「複数回個別に会」える人脈だけでこと足りる、説明がつくのではないかということだ。多分相談を受けたのは彼女たちだ。今のところそれ以外の人脈が登場する状況証拠は見受けられない。おそらく丙の人脈というのは一期生の有名どころから外れた二期生とかのメンバーなんだろうなと思う。山口のミスリードや運営の説明怠慢から、総選挙の不正云々といったモヤモヤもあってこれが答えだといわんばかりに一期のN3らなどを彼らが黒メンだと騒いだのだが、報告書や報道から導き出せるのは、黒メン濃厚なのは二期生の有名どころあたりであろう。

 今二期生らのフォロー外しの順番などを精査したりして誰が濃厚かをリストする余裕も能力もないが、山口は実際の繫がりよりかは一期生の反目を煽り立てるために、繋がりというタームを十二分に活用したので、被疑者たちから名前を聞いても我に介せずだった可能性もある。大塚がチームGだったことを思えば、その子たちを山口はしれっと安全安心7に紛れこませている可能性すらある。研究生の辞退が相次いでいるが、二期生以下の混乱は彼女たちの中の繋がりが事件の解明で対象化されず、ようやくその落とし前のツケが払われていたのではないか。

 ついでに言えば山口の告発への応答はこの丙の人脈の件で十分かたがついている。教育不足により不問とする第三者委員会は十分山口に対応した。運営の不作為もあるのにアイドル始めて一年の脇の甘い高校生たちにやり直しも認めず容疑者と友達でしたってことで未来を奪うのは正しいんか、あんたということである。切羽の件は交際で18歳未満だったからだろう。そして部屋の件は別で山口と被疑者の問題のはずである。

 そして②だが、なぜ事件が起こったか、つまり被疑者からしたらなぜ訪問が失敗したか、山口からしたらなぜこの失敗を事件化せざるを得なかったか、を理解するには事件発生に至る山口の状況の経過を知りたいところだが、実際わかりやすい対立は事件発生以前には認められず、事件後の言動から推測するしかない。よって事件後の行動に触れる時に詳細は扱う。

 だが目に見える外形として捉えられることでも抑えておきたい事がある。総選挙時の山口の引越しの公約である。ここでは事件の客体の山口を中心として都合のいい偶然が次々と起こったとは考えない。だから自炊生活終了とか太野が報告してる頃合いに山口が引越しを選挙の公約にした事を偶々だとは考えない。太野の引越しが厄介のストーカーなりが原因だとすれば、運営は山口にも転居を勧めていてもおかしくない、メンバーを近い所にまとめるのが安全対策だったんだし。たとえそのマンションに居住している厄介が山口の太客で、それが山口の望んでいた事だとしても、異様な事態だし他のメンバーに実害が出たし対応すべき事柄だからである。運営が指示したのか、勧めたのかは分からない。が、対する山口の答えは引越しを公約に、しかも大層な順位で、する事だったわけである。実はこの行動は山口の意図が読みにくい。引越しする気があるのか、ないのか、したくないのか、いずれするのか、順位が大層すぎて真意がわからないのだ。あの順位が自分で順当と思っていたら、いずれするなのだが、本当にそんな高い自己評価してたかと信じていいのかわからないのである。

 それはともかく、公約にする事で山口は運営のメンバーの安全を確保する取り組みを自分のアイドル業の勝負事にしてしまった。太野は順当に引っ越していたのだから、同じ行動をとるのに条件を求めた山口は、太野が求めたわけではないが、独り相撲で形式上、太野に競い事を求めたことになった。おそらく1月8日ごろの太野のフォトログの煽りはこれがその伏線だったと思う。山口が引越しを先送りした結果、二人の齟齬が顕在化し、おそらく山口は自分の立場がより支持されるはずだという確証を得なければならなくなった。だから、納得できる順位が必要だった。それがあの煽りに潜んでいる確執の遠因だ。その齟齬がどんなものであるかは事件後の言動、特にあの煽りから逆算しなければならないので後に触れる。ただこの競い事、勝負事の結果には触れなければならない。山口の公約は17位だが開票結果は70位、そして太野の開票結果は53位だった。山口の独り相撲の太野への勝負事は、無惨な結果に終わったのである。おそらくこの結果は山口のメンタルに相当なダメージを与えたに違いない(一緒に太野の開票結果を喜んでいたんだけどね。事件で山口に自分の破綻が見えた時、愛着は恨みになったんだろう)。

 で事件が始まる前に「ほんとのこと言います」の評価に触れておくが、ここで山口と被疑者の甲、笠井が繋がってたと見るのは、ほんとこさんのリークを信用しているからだけではない。運営はマンションでの山口の太客の存在を把握していた(はず)、太野は引っ越した。甲のこのマンションでの存在は太野の引越し以前からだった。そして山口は引越しを先送りした。この四件の事実、もしくは事実への評価への解として採用している。引越しという行動への山口と太野のフットワークの対照や、運営のマンション内の厄介の不可解な放置、等の不自然さを説明できるからそう考える。運営がバカすぎたので山口の卒業以来、ほんとこは工作、痴話喧嘩は事件の矮小化とかいうのが大勢になったが、まず矮小化だが痴話喧嘩が矮小化ならDVやらデートレイプやらリベンジポルノの被害が、暴行被害よりも卑小だとでもいうのだろうか。取るべき対策と支援が違おうという話だろう。だから事実が重要なわけだし、事実と確認できないことには慎重であるべきで、支援、応援とてそれは弁えなければという話だし、工作に関していえば告発直後の時点で噂ばかりで事件の実相は雲をつかむような時期に、あれだけの事件の詳細をリークした内容の中で山口の繫がりをミスリードの虚偽の部分とそこから切り出せる根拠はどこに当たってもわからない。皆工作の意図とその内容を混同している。だいたい、運営があんなに馬鹿なのにそんな工作する知恵なんかあったら、事態悪化させて良心的な山口事件垢が「事実はともかく」と付け加えるくらいまで成功することになってない。現支配人がその正体かもという憶測にしたって、あんな就任直後に彼女は事件の詳細の細部まで把握してないはずだし、スタッフへの指示だとしても何を発信するか把握しきれない時期にそんなこと許可しないだろう。ただ運営は乗っかかったという節はある。

 もちろんほんとこも不誠実な語り手であるという点はこの文章の論からでも否めない。事件はなかったと言い切ったこと(事件当時山口と被疑者に何があったかだけが事件の本質ではない)、被疑者がメンバーの部屋から出てきたという風聞を否定するための、太野が引越した事実の発信の意図的な(引越しの背景、引越ししたがってた山口に対し、実際したのは太野のチグハグさへの解)空白、そしてマンションの転居時期等の厄介の情報のソース(なぜこの情報を発信者は把握できたのか)、公にしたくないことと発信者の立ち位置を示すような情報はしっかりと空白にしている。

 あと、運営ありき、もしくは一体ではなかろうという位置づけ得るのは、やらかしたメンバーの名前を出している点である。これはあまりAKSのやり口に詳しいわけではないが、不意に卒業したり活動辞退があって何かの引責らしく見えても、何かあったのか、瑕疵があったのかはたいてい公にはならない。そこから見ると運営やスタッフならこの事件では大塚の名前は明らかにしないだろう。この点はほんとこさんの立ち位置が窺えるような気もするが、ここではこれ以上触れない。

 さて③の事件後の山口の行動にやっと移るが、ほんとこの件でも少し触れたが、この事件はいろんな情報から初めから、山口の論点は個人情報の管理だったので実は山口と被疑者しかいないところで何が起こったかは必ずしも重要ではない。ただ逆にいえばこの論点が最優先事項になったこと自体が不自然なのだ。安全対策ならそれ以前にやる必要のある重要なことがあるはずなんだから。その判断をする義務があるのは運営で、運営は必ずしも山口の判断に従う必要はないのである。

 とりあえず山口と被疑者で、山口の知らないところでメンバーがアポを作り、望まぬコンタクトがあって、程度の評価の差はあれ揉め事となった。それは間違いがない。そしてその次の経過の事件の情報を与えてくれるのは新潮の書き起こしであるが、あれは読んで何を読み取るかはなかなか難題である。会話の中でいわば設定が一貫してないのだ。初めは山口は件の部屋を太野の部屋と同定していて(つまり引越しを知らないという設定)、なぜ出入りできるのかという意味で被疑者を問いただしているのに、少し経つと、太野の引越しは誰から聞いたのかと被疑者に問いただす。太野は引越してるのかないのかどっちなんだ、山口よ。そして甲への距離感も問答の中で揺らいでいる。初めは被疑者ひとしなみに不審者らしく突き放した距離感で構えているのに、最後になると丙にブラフを掛けているにせよ、甲とは以前からの顔馴染み感を漂わせる。公式には甲は二年前まで山口の太客だった男にすぎない。直近の握手会で山口と出会っているファンにすぎないのにあの物言いはおかしい。会話の前提の一貫性が読み取り難いので、あそこで発言されている内容がどれが事実かどうか判断し難いのだ。そしてまた、発言している内容も事実と整合してないと判断できるものがある(太野は引っ越している、引越しに気づかなかったは無理がある、そして引越していなかったを傍証できるほどの状況証拠はあるか?)。このような場合、上の一貫性のグダグダさも勘案すれば、ここでは意図はともかく虚偽、事実と違うことが互いに語られていると考えるのが妥当だろう。一種の狂言なのだが、このグダグダさをみれば打ち合わせがあったとも思えず、即興のセッションだったろう。村雲やスタッフまでそれに付き合ったわけはあとで類推する。

 そして肝要なのはこのセッションの主題は何か、ということである。そこに裏返しの形で伏せられた事実がある。おそらくこの会話で非整合さと重点の置かれているモチーフがそれということになるのだが、太野の部屋の事しかありえないだろう。多分被疑者と山口は太野の部屋について隠したいことがあるのだ。どこかでtwitterで誰かも書いていたが、引越した太野の部屋を現在の入居者ではなく、太野の部屋であると両者とも既知の知識として被疑者と山口の間で語っていることは不自然である。

 さて何を隠しているのかということになるが、何度か書き試してみたが、どうもくだくだしい。とりあえず不審な点を挙げる。まず一つ、被疑者たちが、太野と繋がりがない、彼らの周囲にも見つけられないと一貫して主張していることが本当なら、なぜその部屋を元太野の部屋だと知っているのか、しかもなぜ空き部屋になったら入居しているのか?。後者は設定を忘れた山口が尋ねた答えが仮にあるが前者は不可解のままである。二つめ、「山口の住所を太野から聞いた」は、「知った」の要件を満たしていない。太野の部屋の向かいだと聞いたとして、太野の住所が特定されてなければ、それがどこか知りえないが、一つ目の不審点で触れたようにそれは難しい。握手会だとしても、SRやライブ発信で現在地を極端に韜晦する人間が自分の住所喋るはずがない。そして報告書の情報まで含めると元太野の部屋を借りる前から、そのマンションの別室を借りていたのだから、山口の住所を求めるのに太野の部屋から求めるなんて迂遠なことするはずがない。報告書のいう労力を同じ分かけるなら山口の部屋からだ。甲の語ったことが本当なら向かいは太野のおまけ付きということになる。

 そして一つ目の不審は重大な疑義を含んでいる。ファンたちだから面識がないというわけではないが、私的関係が切断されている人間が彼女の住所を知っていた、のみならず彼女は引っ越したという場合、まず疑うのは事件性だ、巷間まことしやかに口をつく「証拠はないが奴らはグルだ」ではない。太野の疑いが濡れ衣で、またSRでの私信とされているものが握手会と連続のオタいじりにすぎず、Lineも写真もでて来ないので、その解釈が現下妥当なものなら、太野が被害者の事件性を疑わなければならない。その場合、被疑者たちは加害側当事者の可能性が高くなる。なら山口が事実と違う事を喋り出した時、何が起こったか知らないが事実を語って反駁しにくいのもうなずける。だからしどろもどろになるしかなかろう。

 そして、矛盾の交錯する太野の部屋の件を除いて、書き起こしでの、太野や西潟は関与がないとする被疑者の他の発言は一貫している、整合していることからそこは事実とみなしてよかろうと考えると、握手会で太野が向かいが誰かふと漏らしたのが本当なら、実はこう考えるしかない、被疑者たちは太野の部屋を特定する前に山口の住所がどこか知っていたのだ。この文章の論からすると山口と甲は繋がっていたから、ということになる。報告書は、当時は運営も山口が帰ることを望んでいたからそこには予防線を張っている。ストーカーまがいのことをすればわかるのだと。しかしそれならこんな猿芝居を打つ必要はないし、打てないはずである。どうしてその部屋から出てきたのか?なぜ自分の住所を知っているのか?それしか出て来ないはずだ。そしてそこに太野が引越してないという明らかに事実と矛盾する主張が繰り込まれていたのは、その部屋を巡る状況を彼女は知っていて隠したかったことがあるからである。その部屋の主と知己であるだけでは、そこまでの危ない大芝居を打つ必要はない。おそらく隠したかったことは、その部屋が太野の部屋だと特定できたソースであり、しかも被疑者の転居できた理由である。つまり山口の囲った太客由来で太野の部屋が特定され、付きまといなりが起こったことを伏せたかったのである。

 不愉快なコンタクトがあったことは事実にしろ、ありのままの事実のまま事件が公になるのは山口からすれば致命的である。今は冷却期にしろ(甲が西潟の握手会に出現しているところからそれは窺える、多分山口は推し増しを許さない)、太客を囲ったこと、それが原因で太野の事件が起こり、自分が無関係とはいえないこと、これは隠さねばならなかった。だからあの部屋への被疑者の転居したことから、自分を徹底して切断処理せねばならなかった。それで彼女は自分抜きで成立する事件のあらすじを誘導しようと次々に詰問することになる。まず、自分の演じた役割(特定から転居の過程)を真っ先に太野へ振った。次いでそれだけで事件を構成できるか、迷ったのか、太野の引越しの情報のソースを尋ねた。前者はプランA、後者をプランB、両者は実は矛盾している。そして山口の部屋特定の情報源、これを共有プランC。これらのプランは事件の継起、因果関係の依存を矛盾なく説明するわけではないし、AとBを同じ人間が言って破綻している。いわば鍋の論理なのだが、整合性のあらすじを提供(できればいいが)するのが最優先なのではない。事実に対する煙幕たるに十分な粗筋があればいいのである。そして観測者はこの煙幕の内容を完全に否定しないと、伏せられた事実は現実のものと認めるのが難しくなりやすい。事実、この文章を読者は妄想と感じて、蓋然性や合理性を計りづらいだろう。

 山口は自分の事情を隠蔽するために隠蔽する事件の自分の役割を太野に降った役割を自分の事件に織り込んだあらすじを事件に付け加えた。そしてそれが信憑性を持つ限り、太野の事件は起こったことにはならない。かつ実は現実に起こったことだから、全部が妄想ではなく、細部は存在し共有するので、この煙幕をなかなか人は頭から拭えない。正直この山口のやり口はえげつない、とだけ言っておく。

 まとめると、望まぬコンタクトがあり自分の知らないところでアポを設定されたこと、した人がいたのは事実だったから、自分たちの行動の結果(部屋)もそこに誘導して、自分の不始末を隠蔽しようとした、西潟に関してはあとでみるが推し増しされたのがムカついたので事件の一部役割をになったとこじつけた、事件ということになる。悪質なのは被害者性のある特定の人物を、自分の果たした加害の役割で濡れ衣を着せることだが、これがたまたまか故意かは後で考える。

 ではなぜこのような悪意のある狂言まがいの詰問を駆けつけた村雲やスタッフも黙認したかだが、ここまで悪質でないにしろ同様なミスリードの前科が山口にはある。ハレンチ配信のときの言い訳である。あの配信は宿泊先のものだったのだが、配信自体異様なものだったが、セックスをしながら配信したのではないか、という疑惑に、ホテルの監視カメラの内容が公開できれば潔白とわかるのに、支配人が公開をしてくれない(?訴えてくれない)と当時の支配人(今村氏、次は敬称略)を責めて、自分を免責していたことがある。そんな強制力は運営は持たないが、訴えてきかなかったことがある(という)。おそらく、山口は言い出したら聞かない、性質のあることは周囲も知っているのだろう。事実と違うことを言い出したとしても、指摘したぐらいでは聞かないくらいの認識はあったのではないか。嘘を言って、あきらかに太野をハメるという言動に居合わせているのである、村雲なら言えるんじゃないという人もいるかもしれないが、書き起こしみると山口はえらい剣幕である。ここで山口の言い分に違うことを言い出すなら、村雲もこのマンションに住んでいる、太野の共犯(部屋の鍵の共犯)にされてしまうことだって、村雲は太野と仲がよかったんだし、ありうるのである。事態を静観するのが賢明だという判断だったのではないだろうか。事実、被疑者と山口で共通する認識が持てないとわかり、スタッフが警察に通報するに至る。事実を裁定する権威のある機関に頼るしかなかったのである。事実を裁定する秤もなしに、グループに戻ってこのまま言いがかりめいた訴えを山口が追求するのを許せば、グループは保たないといった危機感があったのではないか。賢明な措置だったと思える。しかし残念ながらこれを山口は今村と組んでひっくり返すのである。

 今結局警察と山口なり運営の関わりで外に事実らしく聞こえているのは、山口個人の事件であり、その捜査の公開できる内容は山口個人に知り得るにとどまり運営もろくに知らない、という外観である。メンバーは個人事業者にしろ運営はメンバーと契約し運営の求める業務を遂行し、その業務上の結果としてトラブルにあったのに、通報したのがスタッフなのに、運営が事件の内容を知りえない、運営がこれほど当事者から外れることって刑法上の公開の制限と、運営とメンバーの契約上ありうることなのだろうか。ここで労働の法規と刑法からその妥当を論じる能力はこの文の書き手にはない。しかし何らかの情報を警察に求めることはできただろうし、山口に問い質すことだってできたはずと仮定してみる。あきらかに、ここではNGTの、運営は被害の当事者として振る舞うことをサボタージュしている。

 報告書での事件があった時の内規の言及など新潟の運営への批判がましい表現を読めば、警察に通報するまでに至ったこの騒動は、AKSの運営にまで上がってないのではないか、山口の告発に至ってやっとAKSは新潟で起こっていたことを知ったのではないかという疑いが否めない。つまり理由は知らないが今村は新潟の内部でこの事件を処理しようとしたようである。だから被害当事者とはいえ山口の私分の事件後改善策、繋がり対策を受け入れ、例の23歳自営業で事件を発表させることも認めたのではないか、ということになる。つまり、今村は事件を表沙汰にしないため23歳自営業で発表してもらうために、山口の言い分に乗ったのである。この辺りはこれは事実の確証の裏付けは見当たらないにしろ、事件後の流れからみると特に不自然ではない、今村の事件後の行動、その内容が各メンバーのつながりの洗い出しを求める、から窺える。そして先に言ったように、報告書もNGTの事件後の処理をこき下ろしているが、これはガバナンスとしておかしい。つながり調査より先にやることがあるだろう。そして23歳自営業と勝手に処理している山口も、それを一支店の権限だけで許す今村もおかしい。で、山口から恩を買って、山口の言い分に乗ったがために、安全対策や事件解明を情報流出の温床たる繋がり環境の浄化に話をすり替えたんだから、山口の要求を認めた言質を取られた体になって、浄化としてメンバー(繋がりの話だから刑法の教唆の枠にとどまらない)の処分(これは支配人の権限を越える)を求める名分を拒否しきれなかったのだ。今村は山口の話に乗りはしたが、最後には矛を納めさせる算段だったのだろうが、甘い見通しだったことになる。こうしてAKSは事件処理の初動において、新潟の運営の恣意のため、ひどくボタンを掛け違えることとなった。

 ここで疑問が出る。一つはなぜそこまでしてNGT内部で事件を処理して、隠蔽しようとしたのか。二つ目、この支配人なり一支店の職権濫用めいた恣意はなぜ事件解明の対象なり改善策の対象となっていないのか。

 一つ目としては、隠したかったことは山口のそれと大差ないのだろう。ただ刑事事件の処理の状況になってまでこんなだから、太野の引っ越しの際に裏方で起こっていたことも、メンバーのマンション内に厄介が入居している事実が確認されたことも新潟で留られ、東京まで上がってなかったではないか、と考えられる。何も東京に上げずに、不都合なことを隠しておいて、新潟の運営としても太野の事件があっても厄介を放置していたことが露見したらまずいのだが、そんなリスクを冒して何を支配人は守りたかったのかといえば、多分、山口真帆その人だ。おそらく彼のNGTの興行のカードとして山口は温存しておきたかったのである。

 ただそれはセンターとかスポットライトの当たるところとは限らない。厄介の稲岡が、山口にいずれスキャンダルあるかもというtweetがあったように、それは炎上マーケッティングだったかもしれないのである。そして継続的に山口は仕事が与えられていたように彼女は干されとはいえない、にも関わらず、山口が今村にひどく愚痴づいていたのは、そのカードの切り方が信用できなかったからだと思う。多分彼女は自分に回ってくるポジションに不満だった。中井りかのように推してほしかったのだと思う。ただどうしてそれが必要だったのかは後で触れたい。とにかく、それが山口の納得できるものだったかどうかはともかく、今村のNGTの展開にとって山口は必要だった。ただその庇いだては度を過ぎてしまったし、隠蔽を許させたことによって山口は増長し、内紛を拡大させていったはずだ。

 ではなぜこの新潟の恣意は問題にされないのか?報告書ではケチョンケチョンなのになぜ今村を呼び出してその独断を解明しないのかということになる。結論らしきものはあって今村の瑕疵は運営の瑕疵なのだから、暴き立てていったってAKSの過失の重さは増えこそすれ減りはしないというのがあるのだが、上の庇いだてしたかった山口のこととも関係するが、支配人というのは、興行上の決断をする職分、独断を許されている職責なのである。もちろん、興行上必要だと思うメンバーであっても、やらかしたら本部に情報も上げずに隠蔽して庇い続けるのはガバナンス上おかしいだろう。この文章の論が当たっていることがあったとして太野の引越しのあと、山口が引っ越さない時点で動いていないとまずいし、経過は本部に上げて判断を仰ぐくらいして当然だろう。だから本部からの支店の統治上今村の行動は問題があるのだが、支配人が独断できる職権である以上、統治と、興行を優先順位におく職権の行使は軋轢を起こす可能性はあるのである。課題は職権の範囲と対象の範囲が明確にされていて、職分ごとの統治の体系がしっかりさせることだが、今村を問い質すということはそれをやれということになるのである。多分AKSにはそんなリソースはないのだろう。しかし数百人の女の子を抱えているのは事実なので、明日の公演、今年の楽曲といったプロダクトを作っていかねばならない。でそれを下ろしてくる雲の上のプロデューサーと現場の積み重ねをとり繋ぐのに支配人の役割は重要ということになって、ジョブの明確化とガバナンスといった人によっては手枷まがいになるものがあるよりも支配人の個性次第、頼みにした方が成果が出やすく職分や統治上の位置付けは曖昧になるのだろう。この記事はこの問題に答えよというつもりはないので、答えはないが、AKSがガバナンスについてことを進めたがらないのはそういうわけではないかと考えている。AKSがそのつもりでは、報告書が非難しているにも関わらず今村の事件の処理の過失はあきらかにならないのだろう。

 そんなわけで山口と今村で事件は隠蔽されたので、事実の裁定の重しなしにNGTは山口の浄化運動と直面することとなった。12月から1月の初めまで事態がどのように推移したかはわからない。山口のフォロー外しや、他のメンバーのフォローはずし、twitterの発信から何かが起こっていたことは窺える。ふっと長谷川はなんて発信してたんだろと気になって、事件を窺わせる発信は12月23日の「嘘をつくの嫌い」「嘘をつく人嫌い」という言葉があるtweetがあって12月も下旬となるとエラく揉めてたんだろなと思う。小熊の生誕祭、12月18日でも太野と山口の軋轢が表面化してたという話があって、不起訴が年末くらいで、そのだいぶ前からしっかり揉めていて、だいたいN3対Gみたいな構図が出来上がってしまっていたらしい。しかしこれらの話も告発時の言動から類推するしかない 。

 さてSRやtweetからなる告発になるのだが、あれは彼女の主観を述べこそすれ、そこから事実を精査することに耐えるような整合性をもって書かれてはいない。が主観だからこその一貫性はある。そして変化していく告発に一貫して読み取れるモチーフは何か?それは「私は悪くない」だ。彼女の一連の告発は個別では正しいが、相互に相成りたつとは限らない主張の鍋の論理のパッチワークからできている。それは被疑者への詰問の時点からそうなのだ。

 彼女の告発を時期によって、告発時点でのNGT内部での主張を窺わせるものと、告発以後のフォロー外しやいいねで活動していった、報告書以後でその主張が明確になっていく時期とで分けるとその「私は悪くない」の論理が少しずつ変化していくことがわかる。

 まず一つ目①は「私は悪いことしてない」もしくは「私のしたことは悪いことじゃない」という行為の否認、多分この論理の層は太野の被害に関わっている。次に

②「他の人たちだって悪いことをしている」という転嫁による否認、

③「悪いことをしている人たちがいる」と自分を除外して悪いことをしている人たちが外部化される。

④成功したり結果を出している人たちは悪いことをしてそれを得た。

⑤私が成功しなかった、結果を出せなかったのは、悪いことをしなかったからだ。とこんな具合に変化していく。

 概ね告発時の論理を構成しているのが①②③であり、告発以後は③④⑤と重心が移行していく。そしてそれを告発時と以後とわかりやすく大別すると、告発までを「まほほんの私は悪くないもん作戦」、告発以後を「みんな、まほほんのこと悪くないと言ってよ大作戦」と仮に命名する。ここは事件が発覚するまでのNGTの内部と山口の内部での変化を探求、仮説づける試みであるので対象は「作戦」までである。「大作戦」については、それが展開されたネット社会、それを構成、方向づけている願望、欲望を扱わないといけないのでここでは触れない。

 告発においては内輪への非難的な表現が強くそれは字義どおりの表現であるとともに、文脈を知る当事者たちに通じる本意が隠されている。①「ファンと繋がらなかったら繋がっているファンに個人情報漏らされて襲われないといけないんですか」、字義通りには自分の知らないところでアポ取られコンタクトを設定されたことで通じるが、それだけではない。それはそもそも自分がやったことで、それを主他を転倒させて事情を知る周囲に当て付けとして投げつけることで、自分の不満の所在を察知してもらおうというコミュニケーションなのである。つまり引っ越した太野への、その引っ越しで自分の太客囲いがうまくいかなかくなったことへの、当てつけ、恨み言である。特に弁解として内容を類推できないからほんとに恨み言でしかないんだろうと思う。要するに愛着である。他には例えば「引っ越しても、自分の情報バレてるし」にしたって7月に妙な言い訳持ち出して引っ越さなかったことを非難しうる身内への感情的反発のみの自己擁護だろうし、情報の部分も自分の太客がやったことへの非難への反発と自己擁護、逆ギレである。

 「繋がらなかったことが悪いの?」も同じ①の作法で同時にファンと私的に会っていたのが悪いことなの?という逆ギレで、主他を逆転させることで告発の大意を偽装構成すると同時に②と③の転嫁による外部化を成し遂げている。そして周囲に切実に訴えるこの類の表現が強調されているのは告発までだが、これらは自分を免責したいというモチーフから事情のわかる身内向けに発しているので、悪いことを外部化していった告発後には必要がなくなっていく。そして外部化した後の悪いこととその対という対立軸は山口自身が以前から、訴えていた内容をベースにしているので全体として山口は自分に嘘をついてない、説得力を持つ文章になってしまうのである。身内に投げつけた事実と違う当て付けでさえも、その泣き言は本物なので、迫真力を持ってしまうのだ。

 そしてその対立軸、真面目VS恋愛も、対外的に世間に示されている内容と山口の内面での内容は、山口がそこから自分を除外することからわかるように、VSながらもその値と軸はズレているかもしれない。またその山口の内側の軸も太野の引越し前から告発時はブレているかも知れない。特に後者は答えがないかも知れないが可能性は書いておくことにする。

 だからこそ山口が何をやりたかったかというより、告発への山口からの抗い難さ、不可避性を知るには、悪いことが何か知らなければならないのである。いや、というよりも否認して悪くないとして守りたかった何かである。ここでは①②で否認されている山口が否認して悪くないとしたことの内容である。山口の自分への免責は告発で一旦片がつくので告発までの確執が窺えるのは、告発の発信らと告発前の他のメンバーの発信である。そして対山口側で内容のある発信をしたのは太野ぐらいである(西潟は事件後の同情は伝わるが事件前は特にない、つまり対立があったとしても同情できる類のものであったのだろう)。つまりどう考えても裏主題が山口であることを否定しきれない1月7日の太野のフォトログに当たらなければならないのである。

 今現在のフォトログアーカイブtwitterbottwilogを見て欲しい)では概ね、当日の山口への煽りとされているものが残っている。その間には削除されている投稿もある。多分ネットには色々転がっているのだろうがここではこれNGT48 山口真帆暴行未遂事件 本当に太野彩香は『悪』なのか?を参照した。これらの投稿を山口が主題であるだけでなく一貫した話題について陳述されたものとみなす。まず消された投稿もあるのにも関わらず。一つながりのものと見なす妥当性を示す。

 とりあえず投稿を示そう。

2019.01.07 19:46
アイドルなんてまぼろしだ!!

2019.01.07 20:17
台湾にクマニいたよ

仕事とは、真面目にやってる人が成功するんじゃなくて、うまくやってる人が成功するんです。

2019.01.07 20:19

真面目は偉いと思うけど、真面目=成功ではないと思う

2019.01.07 20:56
あーいたいのならーーー、握手会にーーー来てもらってもーーーーええですかーーー?😓😓😓😓😓😓

2019.01.07 20:58
基本定時であがりたい人間なのでごめんなさい😓😓😓😓😓

と以上のような投稿で、同じ流れで消されたものとしては⑤の前に「わたし、勤務時間外は営業してないんです」がある。リアルタイムでの投稿では④の前に梅田でのプラベでのエピソードがあり、④へと自然に誘導されていることもあって、この一連の投稿は二つもしくは三つの陳述と見なされがちであるが。一つの陳述と見なしていい妥当性があると考える。それはアイドルなんてまぼろしだ、という主張と非プラベの時間でのみ会いましょうという主張は一貫していると考えられるからである。つまりアイドルなんてまぼろしだという一般論の具体例として、アイドルであるのは営業時間のみという主張は包含できるからである。

 さてそれではここから真面目とうまくやるの具体的な内容を見ることができる。成功について探求した後に、自分が失敗例を探求実践しているという一例をあげるわけがないからだ。成功=うまくやる=営業時間のみアイドルとしてファンと会う、ふるまうということになる。②と③がえらく世間に広まったせいで、大きい述語で言葉尻取られたけど、太野のうまくやるなんて、もともと流れ汲まないと真意のわからない投稿する人だし、この程度の意味だったのだ。私もわからなかったが。

 問題は真面目である。これが太野と山口の確執について教えてくれそうな唯一の発信で、先のうまくやるが太野なら真面目が山口で、うまくをひっくり返せば真面目が出てくるはずだが、どうなるか。営業時間外(プラベ)でもファンと会うし、アイドルとしてふるまうということになる。ようするに真面目だとプラベでもファンと会うよと言っているのだが、この文の論では山口は私的にファンとあっていたとしても、一般論になる主張としては見なしがたい。だからもう少し敷衍しなければならない。太野の④握手会はファンに注意として呼びかけているのである。つまり真面目、うまくやるは第一義にはファンの属性であり、それの内容を太野が呼びかけているからには、次義としてその属性を許容し、求めるアイドルからのファンへの関係性なのである。仕事についてはやはりアイドルからファンへの関係性を含んでいるからこそ、その言葉を使うのだろう。

 では成功とは何か?一般論からのアイドルとして成立するか、でもいいが、文脈に沿って読むなら、ファンからの推しの成功だろう。

 そうすると、プラベでほんとに会うではなく、「プラベ/非プラベにも関わらず会いたくなるような気持ちで応援してね」というのが真面目となる。もはやこれは応援というより恋と呼んだほうがいい。つまり太野の言葉をもじって書くと山口の真面目とは「まほほんに恋をしてもらってええですか」となる。

 ファンとして応援というより、もはや「私を好きになってほしい」と呼びなしたほうがいいこの気持ちこそが山口の一貫した「真面目」なのである。それを対外的には韜晦してアイドルの恋愛禁止の真面目さと(あとで触れるが単推し主義で仲だちして)短絡して語っているのである。そして「好きでいて」というのは排他的である。だから推し増しや推し変は強く非難されることとなる

 そして太野はこの真面目さはファンにとっても推しにとってもよくはない、成功ではないというのだ。営業時間内でこそ見まえることができる夢だ、夢なんだよというのがファンと推しにっていいことなのだと太野はいう。だから「アイドルなんてまぼろしだ!!」なのだ。

 問題はというか不幸なことにこれが一般論レベルだけではなく、実践レベルの会話だったことだ。太野はストーカーに合ってるからである。自分を正当化するのに引き合いに出す例の内容の理解が浅い半可解で持ち出すはずがない。つまり山口における実践例としても語っているはずだ。つまり少なくとも事件後のいづれかには、太野は山口が太客を囲っていたことを知っていたのだ。おそらく引越し前、文春の記事が事実なら、ストーカーを山口に相談したあたりから知っていたほうが自然だとも考えられるが、それは可能性としておいておく。

 そしてこのアイドルとファンの関係性についての価値観の違いがなぜ重要なのかというと。この齟齬が原因で太野は引っ越したからである。プラベ圏に自分のファンが出没し出したことに耐えられなかったのだろう。

 ここで太野の性格について捉えなおさねばならない、ここでの太野像が一般の太野像と遠く隔たってきてるからだ。厄介と私的接触を重ねて人気を得たみたいに理解されているのだが、上の非プラベでは会いません、という流儀とは、それはえらく食い違っている。事実プラベ域での接触の直接の証拠は上がっておらず、SRはコメントを読む、握手会の続きでオタをいじっている、ステージでも名前を覚えていれば読んであげるという等のファンサービスとしてやっているにすぎないという見方を否定できないものばかりだ。そして現在地情報の発信への忌避の病的な神経質さを考えると、彼女はプラベではファンに会えないという性格と考えるほうが自然ではないか。男のファンはもちろん女性もおそらくである。営業時間内にアイドル「アヤカニ」というキャラクターを稼働させてこそ過剰なファンサービスができてああ振る舞えるだけなんじゃないかという気がする。書き起こしでの太野のつながりの都市伝説まがいの茫漠な存在感からも、つながりの実像なんて窺えないのである。いわば太野の煽りをもじれば太野の作り出したまぼろしを厄介も世間も太野の実像と信じ込んでいるんじゃないか。

 下書きを保存するとエラーぽいの出たんで、一旦ここで公開するよ。

 

NGT48、山口さんの件

  事態が動きましたねえ。山口真帆の卒業演説、読んでみた。ごめん、おれの見立てが甘かった、あれ、サイコパスかなんかの類だわ。Gチームのメンバー苛んで平気な様子見てると、共感の能力に困難があるのがわかる。そういう感情の社会的な適応に難があるタイプだろう。もう心療内科とか医療、社会的な支援、必要なんじゃないかと思う。

  専門家じゃないから確かなことは言えないが、生育史で自分の感情、とくに痛いとか自分を守る感情を尊重されなかったんじゃないか。だから、自分の痛みが、それと自認できない。だから、他人の痛みにも鈍感になる。結果、自他の峻別もおぼつかなくなる。扶養される側がそうなるくらいだから、扶養してる愛着の対象も同様の類だっただろうし、愛着の対象に不満や後悔があったりしたとき、その転嫁先になった経験もあるんじゃないか。

  そして、そんなのが大人になるとどうなるか。人生上というか発達上の解決困難な問題に直面したとき、大切な人を傷つける行為によって、そのストレスをやり過ごす、さしあたりしのぎ、先送りし逃れようとすることになったのではないか。一見理解困難だが、好きな対象が変わってしまうならの類の一貫した理路はそこにはない。これはストレス下の個体の親密な対象への愛着の表現なのである。だから太野はあんな目にあったのだ。しかし、自認以前の情動で一貫していても、あからさまに非合理な行動を人はとれるものではない。そこで欺瞞が必要になるのだ。別の親密な対象の存在を強調し、もっともらしい言い分をもちだして自分のとった行動の意味を見えなくするのである。

 とはいえ親密な対象というのは自分自身の一部でもある。それを愛着の行動だか問題への防衛だかの合理性があるか知らんが、傷つけまくったら、いずれそれは自損として現実化する。はっきりいってその時のストレスが怖い。支援がいるのではと心配なのはそのためである。

 事件からこっち山口は傷つける親密な人の範囲を拡大してきた。太野西潟からチームN3(ハレンチ騒動で支えてくれた人)、そしてチームGだって許さない。それは逆にNGT48という場所がいかに山口にとって大切な場所だったを示している。

 ここまでに至ったのはストレスが深化してきてるのか、欺瞞の自分への信憑を力づけるためにやってるのかはわからない。しかしこの体験の積み重ねは成功体験の学習となって、それを繰り返させてしまわないか。欺瞞を信憑させていくことが負担になっているなら、依存症の嗜癖になる恐れもありなおさらである。そしてその他害はいずれ喪失となりストレスで自害になるのだろう。その反動が怖いのだ。

 もう分別のついた大人とブラックな事務所の対立であることを前提に抗議と共感を扇動的に伝えることはやめた方がいい。経緯を伝える必要はあるにしても、数とか強さを伝えることは控えるべきだ。 山口の抱えている問題に、適応の困難さに間違った力を伝えるべきではない。山口にだって次の人生はあるし、間違った学習をすべきではないし、山口の周りの人々だっている。今度、問題があったらまた周りの支えにする人を傷つけないとも限らない。三周年の公演までにボロカスにされた太野はおぎゆかやら周りのメンバーがいたからこそ復活することができた。それなりに自尊の感情もありそうでタフな太野でこれだから、そうでない人間ならどうなるかわからない、人死にが出かねない。正直、長谷川と菅原が心配である。太野へのみたいな仕打ちがあった時のサポートを準備しとくべきだ。そして傷つける相手がいないならそれは自分にも向かいかねない(不眠、不安、そして薬)。

 遅かれ早かれ、自分のNGT48、アイドルロスというイベントが控えているのである。何が起こるかわからない。太野らとの友情なり、NGT48にいたことを山口にとって徒労だったことにしないで欲しい。山口の生きづらさに間違ったメッセージなり力を伝えないで欲しいのである。お願いだ。

この空は何処から青くなるのか?

 前の記事終わってないのだが、NGT48の騒動について書くことにする。tumblrでアヤカニのインスタのポストが流れてきてて、被写体としての意識の撮影への絶妙な距離感(まあ表情)、撮影者としても対象の切り取り方が冴えてて、上がって来るのが楽しみだったのだが、あの事件以後新作が流れてこず残念な気持ちだ。事件が起こって第三者委員会の報告書も出て来てもう暴行事件自体の新事実も明らかになることも望み薄だし、現時点での感想を書いておきたい。ポエムも書くよ。

 長くなると読むのが面倒だろうし、世間でやり合ってる事件自体の評価について端的な私的な結論を先に書いておく。バックステージでのメンバー同士の確執、恐らく男絡み、というのが発端、本質なんだろうと思う。男絡みというのは個人の憶測なんだが理由は後で書く。理由は順を追って後で繰り返すが、報告書の暴行の後、被疑者と山口さんにメンバーEとスタッフが合流したあとの客観性が高くなってきて後のくだりを、事件後に拡散された、事実かどうかわからない予断やバイアスを頭に入れずに読むと、事件の恐怖があったにしろ、男女のトラブルがあって、一方の女が腹立ちまぎれに、理路の通らない言いがかりをつけて、メンバーに腹立ちの帰責の宛先を転嫁して駄々をこねてるようにしか見えないこと、それが第一である。

 さて順に書くが、事件が発覚してその内容が拡散されるにつけ、不思議だったのが、山口さんの要求が一貫していたこと、つまりメンバーを処分(まあおそらく解雇)することだったことである。処分の根拠は事件の関与とされているが、それは当初の告発からそこは曖昧で、個人情報の流出も添えてるし風紀の乱れも匂わしてるし、要は「悪いことした」からなのだ。そして「悪いことしたメンバー」を支配人は処分すると約束してくれたと山口は主張していた。しかしそんな山口に白紙委任するかのような根拠で、メンバーを処分することは出来ないだろうし、そんなことを支配人が約束するとも思えなかったのである。

 前者については女の嫉妬を思ったし、後者は山口と支配人の関係を訝しんだが、なにぶん、憶測に溢れていたし、それのどれほどありそうなことかを評価する確かなことがどれかもわからなかったわけで、処分を求められたメンバーは、たとえば太野は事件直前まで山口と仲良かったはずなので、なんでこんなことになったのだと首をひねるしかなかった。

 で報告書である。山口の告発で「向かいのメンバーが住んでた部屋」から被疑者たちが現れたのは、メンバーは既にその部屋から引越していて被疑者がそれを借りていたわけで、部屋に空きが出れば部外者も借りれる形態のマンションだったからで、事実か疑わしいとされた被疑者と山口とメンバーとスタッフが公園まで出かけてしばらく会話したという報道は事実だった。しかも録音まであった。メンバーの部屋から被疑者が出てきたわけではなかったし、事件の後、山口と被疑者が話し合ってたということは事実だった。

 報道等で外部に拡散されていく内容と、現場の内容の理解はこの事件は違うのだろうな、と思っていたのだが、報告書が出てみればいくらか疑問に答えが出る。あと報告書の情報に、以前から内情を内部から発信してたような「ほんとのこといいます」とかいうTwitterのアカウントとか5chで指摘されていた被疑者の甲が山口の熱心なオタだったとかいう事実として見てよさそうな情報を加えると憶測は進むし、そこにも進むが、とりあえずは報告書でのメンバーの関与をみる。

 山口のメンバーの事件への関与の指摘は報告書では言いがかりの域を超えていない。

Bおそらく太野が山口の部屋を教えたという主張も被疑者の記憶ははっきりしてないし、報告書は同じマンションの部屋を借りてるのだから、いくらでも知る機会があったのではと蹴りとばすし、、メンバーのCおそらく西潟に山口に会いに行けと言われたという話も山口は10月の握手会で甲に言われたと主張するも、甲はCの関与を否定している。でCの関与への根拠は、甲がCの居住するマンションにも一室を借りていることを警察から教えられると、それだという。しかし同じマンションの一室を借りていることは教唆の要件を満たしているとは思えない。で、このあやふやな情報で事件直後にインスタだっけかtwitterだか太野と西潟のフォローを外すのである。自宅の帰宅時間を知られる切っ掛けを作ったAの過失を咎めるなり被疑者の丙なりを責めるのをスルーして、報告書のやりとりでは山口は甲の行動の黒幕をCやBに求めていて、フォロー外しの件を観るとこの山口の理由のわからない確信への固執は事件直後から一貫しているのがわかる。悪いのは誰かの確信は一貫していて、だから彼女らの処分なのである。

 つまりまず追い出したい誰かがあって、そのための「悪いこと」なのだろう。だから事件後の山口の行動の本質はメンバー間の確執なのだと思う。事件後に振りまかれた予断の色眼鏡外して観れば、報告書での山口の主張を不審に思う人もいると思う。同じAKSのアイドルならなおさら感づくと思う。事実を超えて山口がメンバーに意趣なり含みを持ってるのは、あの報告書でのやりとり読むと見て取れる(C西潟の関与を被疑者は否定していて、それを言い張っているのはむしろ山口である)。自分たちなら腹に収めてステージで笑っているその後ろのメンバーとのいざこざを真意を隠してそれらしい口実をかぶせて強行しててグループの活動を停止させているかもしれないのに、そんな人をとても擁護出来ないだろう。

 以上のこんなこと、太野のインスタでも山口とは仲良かったのを見てきてとても信じたくないのだが、最近流れてきたポストでは、「マジムリ学園」で2人で粛清(!)用の警棒持ってにっこりしてるんだぜ、つまりとにかく事件前にはとても遺恨があるように見受けられない、かつ突然三年一緒にやってきたメンバーをしゃにむに排除しようと突進したこと、かつその敵意の執拗なことを説明、いや納得したいがための私の仮説である、メンバー間の確執の内実が「男絡み」というのは。

 なぜ「男絡みか」というとSNSも頻繁でなく、公演、レッスンもそれなりというらしい人間が待遇の格差という不満にそれほど固執できるものなのか、また太いファンの取合いにしたって、ファンの忠言は煩わしい、去るなら追わず、とファンの交流もそれほど熱心でない者が握手会掛け持ちしたからって、掛け持ち先の相手にまで敵意燃やすんかな、というほどの疑問による。

 こいついつか殺すと思いながら、写真撮ってたというほうが合理的な仮説が出てきたらそれでもいいし、事件前に、こいつ追い出したいと願うような何かの仮説が合理的ならそれで構わない。ただ山口の強調する「悪いこと」が曖昧でしかも事件直後から教唆から、表沙汰にできないファンとの交際とかへと横滑りしていったように、メンバーの解雇を正当化する口実を、事あるごとに匂わすだけなのだから、事件後の山口の発信が何の確執であるかを教えてくれることはおそらくない。真意は山口にしかわからないし、事件には(最低限、その本質はファンがアイドルの活動以外の時間に会いにきたこと)おそらく関係がないし、知る必要のないことだ。

 しかし、知りたくなるのも人情だからここで憶測を挟んでみることにしよう。「ほんとのこといいます」や事件以後の事態の成り行きをまとめた「本当の相関図」など内部かららしき発信では、西潟や太野が恨まれたのは、たまたま、犯行グループに西潟と太野のファンが含まれたからと推測している。が、本当にそうか?山口に会いにきたのが山口のファンと山口の仲のいい太野のファンで、御膳立てしたのが、山口と同年代で関係も悪くない西潟のファンで、その西潟の居住するマンションの一室を山口のファンは賃貸していて、太野が引っ越した後の部屋(「メンバーの住んでいた部屋」)を山口のファンが賃貸することになった。これらはすべて偶然なのか。とはいえ何かの作為の意図を仮定できるような情報はない。あえていうならファンのグループ化にメンバーの存在(紹介?ファンの仲間意識?)でも介在することがあるんだろうか、くらいなものだが、山口と被疑者の甲が揉めた時に逆恨みとはいえ、そのとばっちりを食らうだけの必然性、事件にいたるバックステージでの関係性の前段、(たとえば「ほんとのこといいます」のように山口と被疑者が繋がっていたなら、上の巷間太野西潟と被疑者の繋がりを示すように語られる事実、は意味が変わってくる)はおそらくあった(多分、悲しいことに山口と仲がよかったことそれ自体なのだろう)のだ。

 じゃあ、仮説として「男絡みの確執」ならどうなるんだという妄想の具体例を一つ示してみたい。「ほんとうのこといいます」だと太いファンが向かいの部屋借りてるんだから、山口が気づいてないわけない、繋がっていたんだとのことだが、丙が裏技かまして帰宅時間知って、アポ設定しないと会えないくらい二人には隙間風吹いていた。ようやく会うと、山口から言い出したのか、甲からなのか別れ話になって、結果、山口が激昂して、落ち着かせ、発言を制止しようと揉み合いになった。以下報告書に書かれたような大ごとになった。なぜ「ほんとうのこといいます」の山口の意図が自分の繋がり隠し、で太野と西潟に濡れ衣かぶせたのはたまたま彼女らのファンが犯行に参加したから、を取らないかというと、それで説明するには敵意が一貫しすぎてること、隠すなら他にもやりようがあったろう、よりによって仲のいいやつに濡れ衣かぶせる必要があるか、それじゃサイコパスじゃないか、彼女らを追い出したい理由はあったのだ、による(いやサイコパスでしたなら諦める)。

 山口と甲が繋がっていたなら、ましてそれが交際なら、一貫して甲が否定するにも関わらず、甲が認めるわけでもない(「Cは知らない」)握手会の記憶、または西潟のマンションに甲が部屋を持つことを知れば、それまで持ち出してまで西潟の関与を主張するのは、つまり犯人が名前を出したではなく山口の確信、こう説明がつく、甲と山口の関係を疑ってるのだ。

 他のメンバーを呼び出して以降の成り行きは何とか尻尾を掴んでそいつを追い出したい、または甲が自分を裏切ったのなら、それに手を貸すなり、傍観してたようなメンバーがいたならそいつもは共犯、そいつも追い出す、みたいな動機の証拠探し、共犯さがしだったんだろうと思う。そもそも襲われたと主張している人と話しに来たと主張する人の間で関与なり当該の行動に関わった人の名前を知ってもその人物の役割が、二人の間で話が噛み合う、理解が共通するとも思えない。報告書から見て取れるのは、ここに(話に)来たのは他のメンバーの意図(も)ありか、このことを誰か他のメンバーが実行以前に知っていたのか、ぐらいだっただろう。とはいえこれで、前提を擦り合わせしなくともそれで(浮気相手を猜疑してる)山口にはわかる。前者は泥棒犬であり、後者は泥棒犬サイドについた裏切り者か卑怯者なのだ。だからあとで何か瑕疵があれば粛清するために録音で言質とってるのだ。だから、被疑者もそれに感づいてるから、Cをかばってるし、山口はC西潟にこだわるのだろう。まあ、「メンバーとも相談して」山口に会いに来たと本当に被疑者が言ったのなら、それが山口にとって不愉快な話なり、不首尾に終わったら、そのメンバーに累が及ぶことを予見できなかった被疑者も甘かったなあと思うしかない。

 であと太野なんだけど、仲のいい友人どうしでこんな男絡みのもつれがあった時に、その一方の友人が相互に特に親友でも、ニュートラルに以前と同じ付き合いができるかというと難しいのではないかという一般論は言えると思う。特に敵方に与したという理解が誤解でも成立したらなおさらだろう。たとえば山口の「悪いこと」のほのめかしでは(正直、「そそめかし」はそそのかしとほのめかしのカバン語感があってしくじり行為の症例感があるのは興味深い)太野の役割は部屋の情報に関するものだが、彼女の部屋から犯人が出て来たみたいな意図的な省略によるミスリードも鑑みるに、太野の引っ越しに、事件の遠因を求めて何らかの恨みごとの難癖つけてるような気がしないでもない。実際のところは山口にしかわからない。

 ついでに言うと、上にも書いたが、太野なり西潟なりが被疑者と関与づけられるこの手の事実は、山口と被疑者の中心人物と交流が明らかになった今、意味合いが変わっている。山口を中心においた構図の方が合理的な説明ができる可能性があるだろう。山口の告発からそれらを見てしまうのは告発の内容が先入見になってしまうからだろうが、山口の要求がメンバーを解雇することであり、その根拠も横滑りしていった以上、告発の内容にとらわれる必要はない。

 まあ、以上は酷い妄想だが、被疑者からの構図や内部からの構図が明らかにされることはないと思う。山口の執念の正体が露見されて、これでよかったよかったという話ではないからだ。周知されている事件の構図からしてハナからそうだが、これは「会いに行けるアイドル」のビジネスモデルの最悪の破綻例の一つだから。ファンが個人情報探り当て、向かいの部屋に住んでて襲いに来た、から向かいに住んでて付き合ってたなんて話が変わったって運営にとっていいことはない。小林よしのりの「ヤリにいけるアイドルになってしまった」という嘆きは変らないしまさしく事態を評価してたことになるし、まして関係のもつれから他のメンバーの解雇を迫ったなんて、そんなとこ保護者はとても安心して預けられないし、どう説明したらいいんだという話でしかない。メンバーの私生活の管理の難しさに論点が移っても、それは対策が必要にしても決定打が難しい話だし、世間からは「会いに行けるアイドル」なんてやめてしまえと言う話になる。報告書の発表以来山口の発言に全面的に依拠することの危険に気づいて、運営批判に軸を移した人も多いのだから、これ幸いと「黒メンバー」叩いてたことの総括もせずに運営に石を投げるためのネタは尽きないのである。しかしAKSが抱えてるグループのメンバーらの夢だってあるのだ。

 被疑者からしたって、本当のことを言って、かっての(いやもしかしたら今も)推しが火だるまになるの、見たくないだろうし、彼らなりの「実のところ」を明らかにしたって、事態が好転するとはかぎらない。むしろ西潟に累が及ぶ可能性だって否定できない。山口の執念の正体が明らかになったって、それは事件とは関係なくても、山口の疑念を知れば、もう運営が不問にすると言ったのを忘れて蒸し返して、その真偽の如何ともを知りたい輩は出てくるだろうし(それは事件とは関係ない)、それは西潟の心象を悪くしかねないだろう。山口が世間に張った煙幕晴れない限りは、どう転ぶかわからないのだ。

 以上は酷い妄想だが、それは次のことを説明したいがための仮説にすぎない。

⑴当該メンバーを解雇したいという目的の、長期間執拗に一貫して持続する敵意は私怨くらいしか説明できない。

⑵事件以前にそれほどの遺恨があったとは考えられない。

⑶ならば、被疑者の襲来がそれをもたらしたとしか考えられない。事件が人間関係の変化を明白に認識させ、敵意を明確にする何かを与えたとしか思えないのである。

だから、他の合理的な仮説があればそれでいいし、この三つの要件が成り立たなければ、他の話でもいいのである。そんなナイフを心に忍ばせなながら、アヤカニと写真の中で笑っていたと信じたくないだけである。

 が、問題はその後である。事件後それを受けて運営が風紀の引き締めを始める中で、事件の事実、当事者であることを以って、その先頭に山口は立って、グループに遠心力をもたらしたのだろう。しかしそれは遺恨のあるメンバーを追い込むためで、西潟に向いていたのだろうということは、事件後、あれはもう山口の子分みたいなもんなんだろうか、菅原が西潟を誹謗するtweetに不用意ないいねしていたことから想像できる。

 ただメンバーたちは山口の真意を理解していたのだろうか。太野の煽りと言われたtweetにしたって「会いにいけるアイドル」業からの強迫めいた風紀の潔癖さへのこだわりへの揶揄、疑問くらいの内容にしか収まらず、山口の狙っていることの危険さ、真意に気づいているとは思えない。むしろ、真面目な努力のみで成功するとは限らず、運に恵まれたり受け手の望むものに気づき与えられる才能への称賛と少しの嫉妬を示すとともに、そんな天賦に恵まれぬ者は日頃から研鑽に励む他はないと、かのラーメンハゲのラーメン愛のようにアイドル業への愛を素直に語って、山口を諭すような友情を感じるのだが、西潟(と太野)絶対解雇するマンとなってしまった山口にはその思いは届かなかったんだろう。

 そして問題はこれからである、もはやこちらがこの騒動の本質になった感もあるが、山口が世間に張った煙幕、ミスリードの悪質さである。山口はさっきの内部の風紀の引き締め活動と、事件を自営業と発表してもらったりとグループへの恩を強調したりして、メンバーの首を取るのを狙ったのだろう。が、その作戦はあてが外れてしまった。次に彼女は事件を表沙汰にして世間の声を味方に付けて、運営にメンバーの解雇を迫る作戦に変更したのである。

 それは、やっぱりあれは前代未聞といった事象だったんだろうなと言いたくもなる事態になったのである。

 (続く)

 

 十日ぐらい書いて来ましたが事態も動いて来ましたので、分割してここらであげます。読んでくれた人ありがとう。

 

(仮)青識小宮再論(建設中)

まあ、少しとはいえないくらい旧聞になってしまった話題なのだが、海外での日本の女性の交際の伝聞への評価の寸評くらいのやりとりをきっかけに相互に迂遠な調子で延々と続いていた議論というかやり取りがあったのだ。やりとり自体を議論が噛み合わない非生産的なものだったと総括することは、容易なんだけど、参戦した人のふるまいも含めて、そう切り捨てるにはどうも引っ掛かる、違和感というか隔靴の掻痒に届かない感があって気になっていたのだ。よく読めばハナから前提を共有できてないことが明らかなあのやりとりに、なぜ色んな人が口をはさみたくなったのか、あの語りへの磁力を、誰かが言うようにレイシズムやセクシズムの側面を解説した時点で話しは終わっていたというなら尚更、どう評価、位置づけるのか、まとめや外野の評を読んでも納得させてくれるものに会わなかった。それがずっと引っかかって仕方なかったのだ。

とはいえ、ようやくとば口みたいなものをつかんだ気がするので書いてみることにする。あとやりとりしてた人、参戦していた人も含めて無駄に(が、果たしてそうか?)長かったのでこの記事も多分、無駄に長さを要することでしょう。

さて、ご存知でしょうけどTwitterでユーザー名「青識」さんと大学の先生らしい小宮さんという方があるユーザーのtweetの解釈、もしくは理解を巡って延々とやり取りをしていた。まあ、もっとも青識さんのほうはそこに留まらず色々と持論、質問を重ねていたみたいで、そこが長さの一因であったんだろうが、長いtweetのまとめを苦労して読んだ感想としては、初めから噛み合っていない、最後まで論点が共有されない、不思議なやり取りだった。そしてその長いやりとりの中には小宮さんの論拠は示されないのである。他のまとめを見ると、それはtweetとは別の場所にあるのだが、たまげた、みなそれで(小宮さん側で)擁護できたりするものだなという念すら抱いたのだが、まあそれはいい、要はこれから書かれる記事はその小宮さんの(だけでなくきっかけになったtweetへの、このやりとりをめぐる発言者の主だった)読解への疑問点の提示となる。

あと青識さんについてだが、「フェミニズムはセクシズムを容認するのか」といったためにする言いがかりとは別に「he for she」なる立場とフェミニズムの整合性や関係性を説明してほしいといったモチーフから質問していたわけで、それは青識さん側から読んで行く時にやりとりの主要な論点だったわけだが、小宮さんがそれを答えるのにふさわしいのかは、また別の話だが、それは、当事者の運動の言説が当事者であるからには持っている、受け容れざるを得ない、制限された、あるいは制約された性質からくる言説の個別性(特殊性)は非対称や権力勾配を考慮するなら、人間的な言説の「普遍性」から擁護されるべきだが、個別的な、個別者(つまり当事者)はその普遍性を擁護するのか、維持していくことに、さて加担するのだろうか、といった昨今ならでは可視化された問題系を導くことになる。やりとりの発端となったtweet(以下元ツイ)の読みとは別にこの問題系が背後にあるのは押えて置いてほしい。その点からの評価も避けることができない可能性があるのである。

そんなわけで、元ツイのみなの読みへの不満点です。まず、その要点を示し、元ツイ自体は次に小宮さんにならって、テキストで示し、読んでいくことにします。先に要点を示しておくのは、無駄に長くなるこの記事で、後半の私の解釈はともかく、まず言わんとするところはそこだからです。要点は3つになります。

まず一つ、元ツイが導いてる、発話が何らかの行為をなすこと、スピーチアクト、言語行為としての発話の運用の側面に誰もが、無自覚である点です(コンスタティブの対義語として流行りのパフォーマティブという言葉を使ってもいいのかもしれませんが、調べると特定の型の言明に限って用いられるそうなのでここでは安全パイとしてスピーチアクトとしておきます)。また後で触れますがこの側面は無視されているわけではありません。

元ツイはまず直接の発話の内容として上からの立場気味に受け手の無知を示します。次に間接の発話の内容として(つまり発話の主体は元ツイ主ではない)侮辱という内容の発話があったことを指摘します。後者はもちろん前者もまた単なる事柄の陳述、伝達におさまりえず、何らかの挑発、つまり行為を見い出すことができるはずです。

ところで発話によって何か行為がなされる場合、その発話自体で完結することもあり得ますが、応答する行為を喚起する可能性が発生します。行為が積み重なること、もしくはその可能性があることによって、文脈の形成もしくはその期待が生じます。

このスピーチアクトの運用の側面、発話に応答(発話もしくは行為)があり積み重なる、このことを論者たちは無視しているわけではありません。むしろその運用に従っています。後段の侮辱の内容について解釈が交わされ、どう応答するべきか問われることをみればそれはわかります。しかしそれは無自覚なのです。

だから関接の発話の内容(侮辱)は対象とされても、直接の発話の挑発はほとんど対象とされてません。また、論者たちは間接の内容への応答に解釈の努力を払っても、自己の発話が元ツイの直接の内容の挑発への応答であらざるをえないことを意識してないのです。

問題は応答する行為が仮定、実行されるとして、文脈を形成したのか、それは期待にとどまるのか、また単数なのか複数なのか、また同定されたとして個別の文脈もしくはその期待は、維持されている間、同じものにとどまるのか、変化して論理的なステージがあるのか等の判断を、発話の連続を読もうとするなら、要求されることです。論者たちはほとんどその点を対象にする努力を払っていないもしくは安易に見えます。

二つめ、シフターもしくは転換子の処理が曖昧、不徹底なことに不満を持ちます。要は安易に同定しすぎなのですが、発話の主体もしくは発話の内容の対象が、特に特定されていないとき、その同定はたやすく限定されるべきとは思えません。人称代名詞は現実にその言葉が口にされた時の話し手と聞き手の関係を見ないと参照を同定しがたいという点をおさえれば、あのような切り出された発信を読むなら、一つめと絡みますが文脈を検討しなければなりません。それを自分の意見にひきつけて安易に同定しているように読めます。

三つめ、一つめの文脈とその可能性の把握、二つめのありうるシフターの項の把握、それがあって何らかの言葉足らずの主張があったとき、誰が発話したのかわかっていたとしても、その主張の構成要素(登場人物)、言いたいことは 解釈し難い点です。