キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

NGT48、山口さんの件

  事態が動きましたねえ。山口真帆の卒業演説、読んでみた。ごめん、おれの見立てが甘かった、あれ、サイコパスかなんかの類だわ。Gチームのメンバー苛んで平気な様子見てると、共感の能力に困難があるのがわかる。そういう感情の社会的な適応に難があるタイプだろう。もう心療内科とか医療、社会的な支援、必要なんじゃないかと思う。

  専門家じゃないから確かなことは言えないが、生育史で自分の感情、とくに痛いとか自分を守る感情を尊重されなかったんじゃないか。だから、自分の痛みが、それと自認できない。だから、他人の痛みにも鈍感になる。結果、自他の峻別もおぼつかなくなる。扶養される側がそうなるくらいだから、扶養してる愛着の対象も同様の類だっただろうし、愛着の対象に不満や後悔があったりしたとき、その転嫁先になった経験もあるんじゃないか。

  そして、そんなのが大人になるとどうなるか。人生上というか発達上の解決困難な問題に直面したとき、大切な人を傷つける行為によって、そのストレスをやり過ごす、さしあたりしのぎ、先送りし逃れようとすることになったのではないか。一見理解困難だが、好きな対象が変わってしまうならの類の一貫した理路はそこにはない。これはストレス下の個体の親密な対象への愛着の表現なのである。だから太野はあんな目にあったのだ。しかし、自認以前の情動で一貫していても、あからさまに非合理な行動を人はとれるものではない。そこで欺瞞が必要になるのだ。別の親密な対象の存在を強調し、もっともらしい言い分をもちだして自分のとった行動の意味を見えなくするのである。

 とはいえ親密な対象というのは自分自身の一部でもある。それを愛着の行動だか問題への防衛だかの合理性があるか知らんが、傷つけまくったら、いずれそれは自損として現実化する。はっきりいってその時のストレスが怖い。支援がいるのではと心配なのはそのためである。

 事件からこっち山口は傷つける親密な人の範囲を拡大してきた。太野西潟からチームN3(ハレンチ騒動で支えてくれた人)、そしてチームGだって許さない。それは逆にNGT48という場所がいかに山口にとって大切な場所だったを示している。

 ここまでに至ったのはストレスが深化してきてるのか、欺瞞の自分への信憑を力づけるためにやってるのかはわからない。しかしこの体験の積み重ねは成功体験の学習となって、それを繰り返させてしまわないか。欺瞞を信憑させていくことが負担になっているなら、依存症の嗜癖になる恐れもありなおさらである。そしてその他害はいずれ喪失となりストレスで自害になるのだろう。その反動が怖いのだ。

 もう分別のついた大人とブラックな事務所の対立であることを前提に抗議と共感を扇動的に伝えることはやめた方がいい。経緯を伝える必要はあるにしても、数とか強さを伝えることは控えるべきだ。 山口の抱えている問題に、適応の困難さに間違った力を伝えるべきではない。山口にだって次の人生はあるし、間違った学習をすべきではないし、山口の周りの人々だっている。今度、問題があったらまた周りの支えにする人を傷つけないとも限らない。三周年の公演までにボロカスにされた太野はおぎゆかやら周りのメンバーがいたからこそ復活することができた。それなりに自尊の感情もありそうでタフな太野でこれだから、そうでない人間ならどうなるかわからない、人死にが出かねない。正直、長谷川と菅原が心配である。太野へのみたいな仕打ちがあった時のサポートを準備しとくべきだ。そして傷つける相手がいないならそれは自分にも向かいかねない(不眠、不安、そして薬)。

 遅かれ早かれ、自分のNGT48、アイドルロスというイベントが控えているのである。何が起こるかわからない。太野らとの友情なり、NGT48にいたことを山口にとって徒労だったことにしないで欲しい。山口の生きづらさに間違ったメッセージなり力を伝えないで欲しいのである。お願いだ。