キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

ブログと時事

まめに更新するように心がけてから、だいたいひと月なったんだって思います。もっともなかなか毎日というわけにもいかないのですが、いろいろとひねりだしてはなんとか文字を埋めているという状態です。読んでくれる人がいればありがたいのですが、現在の存在意義は思ったこと、考えたことの記録です。たとえばこの前の「王様は裸だ」って話は(まだ終わってないのですが)、なんかこうもやってする行き場のないもどかしさを、文字にできたのでありがたかったわけです。

正直あれはほとんど書き殴ったって感じのところがあってはずかしいのですが、補足を書ければということで残してあります。少なくともあの文章にある早急さは自分で読んでも愛おしいという感じがして消せないわけです・

まあ時事のことについては何で自分でも書くんだろうという気がしてるわけですが、当事者ってのは外部がないはずだって思っているわけです。一部の当事者は自分は緊急性が高い、優先順位が高いって思っているかもしれないけど、それは理由を説明できなければ妥当じゃないんですよ。

で性のことをじゃあモテないおっさんがなぜ踏み込むのかというと、これに関しては誰もが当事者ってのが割と自明だと思うからです。LGBTの問題があるにしたって、ヘテロの全てが少数者や弱者ではない、強者だとかもう言えるわけないでしょう。そこにあるのは価値観と政治的正しさをめぐる政治です。自分の性に向き合った面倒臭さは、普くと言っていいくらい、抜き難くあり、しかもそれぞれの問題にふさわしい表出を持つことができない。

何か時事について語りたくなるってのはそんなところです。原理的には、一部の偉い当事者なんていない。当事しているものがなんであれ、原理的には等価だろうと。そうじゃない、と序列を強弁するのが難しくなるのが性だろうと思うから、どうも性に関するポレミークには興味を持ってしまう。

性的な搾取をやめようとか、厚生に性的なものが空白でいいのか、とか性的な労働が売買から排除されてるのは妥当か、とか価値の角逐は終わらないでしょう。時折、ピックアップして面白がるんだろうと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。