キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

稲刈りと作業歌

とりあえず連休使って区画Aが稲刈りできたというところです。雑記帳なので備忘録もかねてもらいましょう。一反くらいの面積で四面あるんですが、どうしてもひどく湿ったところがあって厄介でした。で23日は区画Bに突入しもち米の面にとっかかっていたんです。もち米は乾燥機に入れる前にハダに掛けて乾燥しなければいけないので、バインダーで刈らなければいけないのです。ここも湿ったところが多くて大変でした。気をつけて作業しないとバインダーの車輪も沈んでスリップしてしまうのです。

一列、一列、刈り取ってバインダーを押して歩くのですが、ずっと頭の中で響いていたのが、戸川純でした。気になることがあっていつか記事にしたいなと思いながら、たまにYouTubeでチェックしていたのですが、バインダーを押しながら、ずっと「玉姫様」が鳴り響いていたのでした。“レディ ヒステリック 玉姫様乱心、ダダダッダダダッダダッダッダッダー"って。このサビのあたりエンドレスでずっと回してて、手にチカラこめるあたりダダダッがもうエンドレス。ヒーヒー言いながらバインダーを押してました。で、力の谷の合間だと「好き好き大好き」に切り替わり、作業の切れ目になると「パンク孵化の女」がやってきて、パッヘルベルのカノンが鳴り響く感じで働いてました。
やっぱり労働歌というか、それは労働者という色眼鏡入ってきてしまうので言いかえると作業歌とか必要なんでしょうね。田植歌とか。芸能ってそんな側面もあったんでしょうけど、集団から個人のものになりました。時代の変化です。表現の嗜好は個人で選び取るものとなりました。だから上の文を書きながら、戸川純はとても田植歌とは言えまいなあと思っていたのです。
一方、芸能って、その領分を個人から失われた集団へと目指すところもあって、その結合を密にするためかのようにより過激というか、より風変わりな境地も志向していきます。上のように個人ですら作業に集中するためにファナティックに同一化しているという体なのに、集団ならなおさらだと思いました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。