キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

東アジアそれぞれ

ふと考えた、思いついたのだが、東アジアでは伝統的に使用されている意味では国家の概念が違っているのではなかろうか。何かどれだけその存在が具体的か抽象的かの程度、抽象性が東アジア(伝統的には3つの国)では違うような気がしてきた。これくらいのことなら中国を持ち出してよく語られている話でありきたり、と思われるだろうが、案外東アジアにとって重い意味があって、日本などはそのおかげで成立したんではないかと思っている。

今、論旨の隙間を埋めたりする力はないので結論からいうと、唐の成立で多数の民族が割拠する広大な地域を支配する多民族国家が成立した。この場合、地域、民族(住んでいる集団)を超えて広大な広さに国家が及ぶ。このことをよく天下を統一すると表現するが、この天下とは民族と地域を越えた広大な領域である。そしてこの天下とは個々の住民としては世界として認められるものである。秦漢の統一も以前にあるが、それは中原諸国家(華)のイザコザだったが、唐の統一の場合、夷狄も含めた統一であることが決定的である。習慣として中国と呼ばれる地域にはこんな広大な領域の政権が成立しているのであれば、中国においての国家とは世界とほとんど等号になる。支配を広げていくことは文明化されたところをひろげる価値のあることであり、よって国家の領域線は無法図に広がっていくことは否めない、いやそうあるべきだ、ということになる。

他方、日本とはいえば、比較的伝統的に民族(住んでいる集団)、地域の境界を超えて支配する政権を作ろうとしない。しかし国号を日本と定める以前は朝鮮半島の一部と、支配していたといえるほどの交流をもっていた。その後、日本列島に限定することに撤退するが、これが唐の成立が及ぼした影響であることはよく知られている。

これは冊封体制だとか、朝貢体制からの独立として理解されているものだが、以前は金印で冊封体制の国際秩序に関係を持ち、海を越え半島とも関係を持っていた。継続性としては別に連続して冊封への国際秩序に入ってもいい気もする。

なぜそうなのかの仮説としては、「世界の一部の国家」と関係を持つのと「世界になった国家」と関係を持つのは意味が違うと考えられたのではないか、ということが考えられる。どう違うかというと「世界になった国家」の臣になるということは、その一部になる恐れが拭えないことではないか、以前は臣になってもそれは同盟を結ぶ程度のものだったが、相手が「世界」なら、その中心を相手が持つというならなおさら、こちらと序列の関係を結ぶことは、辺境として相手が自由にしていいという関係を結ぶ事で、それを受け入れることはあり得ない。ということになる。

結果、通史的に外交上の自由さを日本は享受することができたのだが、他の東アジアの国ではそうはいかなかった。朝貢している国は外交関係をしばられていたようだし、中国は世界の中心を降りることができなかった。またその自由さは欧米流の国家の主権とも相性がよかったのだろう。

かくして国家なるものは、中国では世界へ、抽象度は高まり、日本は一つの住民、地域の具体的な形を超えずに留まるようだ。さて知りたいのは朝鮮半島では統一新羅以降、どんな国家観をもっていたのだろうか、ということである。

 

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