キジ猫の雑記帳

行き場のない野良猫の生活と意見です

土用の後

田舎に住んでいまして、ブラブラしていますが、草刈りしたり、耕作してないところを開墾まがいにいじったりしていて、外で作業しに出ます。近頃は暑いです。正午あたりの外での居られなさは年中で最強とも感じるんですが、でも土用のまえの暑さと比べるとどこか衰えの気配のようなものが漂っています。空の高さや雲の張り出し方、時折り通る風、草の青さの鈍さなどジェットコースターで例えるとここがテッペンでこれから下っていくのだな、引き返していくんだなって兆しを見つけることができます。
ちょっと調べたいことがあって吉野裕子氏の民俗学の陰陽五行説の本をこの前読んでいたので、ああこんな実感から陰陽五行説ってのは組み立てられて、暦ってのはできてるんだろうと勝手に実感しました。飛躍しますがそんなわけであちらでは犬を食ったり、こちらではうなぎを食ったりするんでしょうね。ある意味、両者ともおおっぴらに食べにくいものとなりそうな雰囲気ですが。
陰陽五行説については難しいので深入り出来ませんが、伝統と呼ばれたりするような昔からあるものの中で「暦」のような事実本位、科学のような活動に振り分けられるもの、その反対の由来のわからない、あるいは疑わしい、効果が不確かな行動、民俗やら迷信に振り分けられるものがあって、そこから事実にあった確かなものさえあればいいのというとそうとも言い切れない。でも間尺に合わなくなってきたことや不都合になってきたことってのはどんなスタンス、原則で当たっていくのが妥当なのかと東アジアに住んでる一おっさんとしては考え込みます。もはや田舎を構成しているものも大半が間尺の合わなくなったもの、不都合になったものかもしれないと想像して愕然とするのです。